こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

情緒が振り子

昨日、感情が動かないみたいなことを書いたけど、一方でとてもよく泣く。すぐ泣く。ドラマでも現実でも、怒りや悲しみ由来なら、即引っ張られて、時にボロボロ出る。それってつまりは、情緒不安定ってことだ。どうしようもないね。

「大変そうだなぁ」「可哀想になぁ」と口では言っても「まぁ私には関係ないし、特別興味もないし、どうでもいい」と思っていたりするのに、実際自分には無関係な事象で何を施すことも何を影響食らうこともないとわかっていても、ものの数秒で涙を流す。どっちなんだと思う。私は「他人に共感しまくりで、自分の気持ちは置き去りだ」と言われたことがある。そうなのかしら。まだ我を失ってはいないと思うのだけれど。

爆発する場所を自分で限っているなぁとは思う。まぁ爆発が必須かどうかはわからないが。私が私である必要がある場所、私が自分の気持ちを言葉として声色として絵として形として表現できる場所、小出しやチラ見せではなく爆発的にそれらを放出できる場所。制限掛けられるでもなく、いつでも自由に「どうぞ」とされているのに、「今の立ち位置はここ、動けるのはここまでよ」と自分で自分に命じているみたい。

極力外的刺激の少ない世界で、自分に籠るのは造作ない。呼ばれるものが何もないのだから。自分の心の声に耳を傾けて、というけれども、閃きは尽きて、目新しいものは特にない。それでも何か...と結局書いたり口に出したりしているのは、そうでもしてないと息も止まっている気がするからだ。自分を“安定”させるためとか、大義をつけることもできるが、そんな確証のないことを自分の為だけに言い訳にする気もなくて、全ては“なんとなく”、そうしなければいけない気がするだけだ。良い方向に結果が伴えば万々歳だけど、それを自分で感じることはどうやらなさそうだなぁ。

身内が定期的に煽ってくる。「今から何をするんだ」「これからどうするつもりなんだ」「この先どうなりたいんだ」「何をどう考えてるんだ」ほっとかれてもいい齢の人間にあれこれ“質問”するのは、ほっとけない理由がある、ということ らしい。私が答えないのも自由なように、とやかく言ってくるのも自由だけれど。繋がっているから言う権利があり、忘れられないから口を閉じる権利もある。何を見せれば安心するのかわからないけれど、安心“させなければならない”のだとしたら、私って本当にその“素質”がないんだと思う。

自由でありたいと願う。と同時に、もう何もかも命令してくれよ、と思う。私の面倒さは自分が一番わかっているけれど、だからこそ他人にしかできない扱い方があるというなら、早くどうにかしてくれよ、と救世主を心待ちにしてしまう。でも、そんなものはいないのかもね。自分の涙は当たり前のようにコントロールできないけれど、せめて機嫌をとれるようになりたい。「ほんと、面倒な人ね」と笑って済ませることができるように。

 

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