逃がしたろ
3月になってしまった。ので、考えたことがある。がんばって毎日(分)書くぞ、と始めたこの場所、1年で区切りがいいのでひとまず、“毎日”は辞めようかな、と思う。と言っても、まだまだ未更新の日付分が残っていて、秋の中飛び、近々の2ヶ月間はガラ空きなのだが。だから実際は全く終わってなく、そして終われない。しばらくは引き続き“穴埋め作業”のようになるが、書くスタンスとしては特に変わらないはず。できるだけ早めに、“消化”したいな。自分との約束として。
日常の過ごし方が大きく変わったわけでもないのに、こうして溜め込むことになったのは、何故か。今までと少し時間配分が変わっただけで、こんなにも影響してしまう。集中が散漫して、個々の停滞を招く。相変わらず大半は空いているのに、用事で埋める努力もしない。できることをできる時に、とは思っているが、そのほとんどが生産性のないことだ。私は予定をこなすどころか、まずスケジュールを組むことができない。よく、物事を達成するには、未来を想定して今のToDoを見出すことだ、というが、私はそういう“逆算”みたいなのが苦手だ。まだわからない先のことを仮定して今何かを決断するのも、ちょっとしたズレで予定通りとはいかなくて立て直しを図ることも、小さく積もってく逃げられないストレス。だったら初めから組まないほうがいい。導きを望まない方がいい。だから“自由”にすると行き当たりばったりになるし、何もないことが暇じゃなくなる。簡単な人もいるだろうけど、私にとってスイッチングの消耗量は結構“くる”。あらゆることを“両立”できればそりゃ言うことなしだが、そうもいかない。気持ちだけがあれもこれもと揺れ動いて、実際ひとつしかない体は、ひとつのことさえ満足いくまでできない。
“ひとまずの望み”を叶え続けていくしかないのだろう。どんな些細な事でも。それこそ「早寝・早起き」のレベルでも。もちろんそれで自分を褒める気にはさらさらなれないのだけれど。「今日の自分が明日の自分のために...」なんてのはこれまでクリアできてきた人の言い方だ。積み重ねを実感できるのも才能のうちだと思う。実績も自信もないならば、今日は今日のことだけ、せめて明日の目覚めまで、でできることを考えて潰していくしかない。思いつけば、やるにはやるけど、無理になったら眠って、文字通り逃げる。誰かに咎められるのを待つ必要もないと思う。これまでもそうしてきたんだねきっと。そしてこれからも。