こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

鮮やかな世界の真反対って

思ってた以上に間に合ってない。が、それでいいことにしよう。未投稿の日付分もまだまだ残っているが、義務ではないのだからこれでいいのだ。そう自分に言い聞かす、というか言い訳だな、不甲斐ない自分に対する自己フォロー。作業環境はいくらでも変えられるのに、誘惑の多い場所でわざわざやっているのは結局自分に甘いということだ。そういえば、もうしばらく“必死”になったことがない。“緊張と緩和”大事だし、「一生懸命は自分の為だよ」と言われるし、たまにはガムシャラに...と数ミリくらいは思うけれど。実際の70%くらいをフルパワーだと思い込んで長年過ごし、今はいざと思っても50%くらいしか出ない、通常は20%ぐらいで生活...と、“必死”の“なり方”がもうわからなくなってしまった。

どんどん興味を失っても、残っていくのは短絡的な快楽だ。苦行を避けて不快を避けて、自分の心が掻き乱されない方へ留まる。緊張して身動き取れなくなるのも、サプライズで心臓が飛び跳ねるのも、憤怒で頭に血が上るのも、「要らん要らん」と思ってる。“何もなくなること”は、まだ“おもしろくない”とは思っているけどそれでも“浮き沈み”に首を傾げるし、“何も起こらない”“何も思わない”ことが=安心・安定と思い始めている。少しずつ水分が抜けてく感じ。ツヤがなくなって、マットになっていく感じ。

一日が短いのは夢の延長のせい、とは言っていたけれど、目覚めはさほど気持ちのいいものではない。最中で笑っている画は少ないし、大体いつも睨みつけるように起きる。でっろーーーん、という効果音で。夢より現実の方がわりと静かだが、世界観が全く違っていても心情は似ていて、「良かった」と思うことはあんまりない。(夢の方が若干“興味深い”感じはあるかな。)夢の話をしていると『パプリカ』を思い出す。夢が現実に浸食してきて恐ろしいことになっているけど、実際の“浸食”は個人の中で、静かに、もう既に行われているかもしれないね。現実逃避が日に日に延びて、“理想の現実”はもう実演できないくらい残り時間が短い。必須の項目(例えば生命三大欲求のような)を少しでもクリアし続けなきゃ、現実逃避すらできなくなっちゃう。「もう引退したような顔して」と言われだしたけど、本当の引退を度々意識する、それを繰り返してる人生、ではあるけどね、そんな顔してるかな、目が死んでいる?

子どもには子どもなりの砦の形した枷があり、大人になったらなったで望まずともしがらみが現れる。若いからいいね、年の功だね、未熟だからこそ刹那の美しさがある、最期に近づくほど積み重ねてきた重みがある、人のことも自分のことも、何とでも言える。肯定すればするほど失われるものは?答えなど聞いちゃいない謎解きだね。

 

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星はすごく遠い

状況は、停滞しているようで実は悪化しているのかもしれない。何もしないでいると、立ち位置は一ミリも動いてないけれど、時間を経た分その質は落ちているのかも。手間隙かけて、熟成させているのとはわけが違う。ただ流れているものを手も触れずに見ていることで、生き続けていると胸を張るのは無理がある、と私は思う。「そういうの、本物じゃなくて」なんて言って、じゃあどうしてその方向を“選択”したの?って、自分と自分の問答まがいの言い訳は続く。

縛られることが嫌いだ。でも指示待ち人間だとも思える。地味な作業も苦痛じゃない。でも集中できるかどうかはモノによる。私の身近になればなるほど、私の意向を汲むべく考えてくれて、でもそのアドバイスが私に本当に適合しているか、自分自身がわからない。「あれもあるよ、これもあるよ」と沢山の選択肢が提示されることは決して悪くないけれど、私はそこから最適なひとつを選ぶどころか、いくつかに絞ることも、全部を味見して知ったかぶりすることも、度胸がなくて、できない。やりたくないことを「それしかできないから」とやり続けるのは苦しいことだけれど、やりたいことも「私にはこれしかないのだから」と思うことも無しで、何もできていないのも、それなりに苦しいよ。「世界は広い。未来は明るい。」なんて言われてもさ、うん。としか言えないんだよ。だだっ広い平原にぽつんと立っていて「こんなに美しいものが目の前にたくさん!」と言われて、確かに見えていることも、数あることも、そのどれに集中するのも自由であることも、わかっている、わかっているけれども、どの星にも触れられないんだ。

「そんなのは本来の君じゃない」と言えるのは、“本来”を知っている神様だけだ。尤も、神様という存在がもしいたとして、そして全知全能である場合、だが。「なんでもできる」を人に贈るとき、それは信じているからかそれとも逆か。投げやりともとれるし、いい意味で適当ともとれる。きっと命令よりどんなにか親切だろう。そうしてそれを打ち消すように、できるかできないかじゃない、やるかやらないかだ、なんて基本に立ち返ったようなこと言って、また怠惰を貪ってる。人間はいくらでも口だけになれるね。神様より。

びびってるとか、臆病とか言われると、割と心外な気がしてる。どうだろう、今びびっているのかな、私。億劫とは思っているけれど。何かを、何もきっかけ無しに決めてしまうことが、面倒ではあるけど怖くはない。小心者ではあるから、事前の心配性はどこでも発動するけど、過去には戻れないから と、いざという時が来れば早々に諦めてる。びびって尻込みしてる時間はほぼない。ただただ面倒だと頭掻いてるだけだ。そういう所は他者から見て、外側からは推し量りにくい内心だろう。

 

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