こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

どうぞshake my mind

感情が動かないことは損、かしら。全く、ではないけれど、最近のニュースやゴシップを見たり聞いたりしても、「どうでもいい」と思うことが増えた。多少のミーハー心や、嫌いじゃない相手には寄り添う気持ち、好きなものやそれに関連したあれこれにテンション上がる気力も、持ち合わせてはいるのだけれど。例えば、話題にのぼりやすい人物が宇宙へ行っても、(宇宙ネタは好きだけれど)その人については別に知りたいと思っていない。国民に愛されるべきプリンスプリンセスが例え頓珍漢なことを言って理解されにくい人を伴侶に選んだとしても、多少の遺憾の意はあるけれども、注目度が上がれば上がるほど、どうでもよくなってくる。世の中で起こる大体のことと自分との繋がりを意識できなくなって、「うーん...好きにすれば。至極どうでもいい。」と口をついて言ってしまう。「皆好きに生きれば。思うままにやれば。責任は自分で取るんでしょ?」とはずっと思ってきたことだけれども。不幸も幸福もそれぞれで、それがどのように私に伝わってこようが、私にとってはどうでもいいこと、と思いだしたのは何がきっかけだっただろう。今は思い出せないが、どこかからいつの間にか、自由と並走するように無気力なのだ。

実は以前から、なのだが、身近な人だけに限らず、芸能人や有名人に対しても、様々ある事情に一喜一憂してしまう。誰かが結婚すれば喜び、不倫のニュースで怒り、家族愛に感動し、誰かが亡くなったと知って悲しむ。だけどそれらのほとんどが、私自身や私の人生とはなんら関係ないところで起こる事象だ。その人たちの生活の変化が、感情の起伏が、私という人間に直接繋がってはいない。私が勝手に喜んだり怒ったりしているだけで、当人たちにもまた、何の影響もない。そのことに気付いた時、否気付いてはいたが改めて意識した時、これらは“無駄”なのか考え始めた。伝えないし伝わらないのに“他人の人生”にあれこれ思ったり言ったりするのは、時間や気力を無駄に使っているか?

平等ではなくても相互作用として影響がある、または積極的に関わりたいのならば、他人の人生や人間像に興味を持って意見するのもアリなのだろう。あれこれ首をつっこんで言うだけ言って去っていくような口先職人にはなりたくないが、あまりに他人に興味がなくなっていくのも、ちょっとどうなの、と思って今回の話を書き始めた。まだ辛うじて、新たに生まれる技術とか新たに発見される“かわいい”とか、“興味”そのものを失ってはいないけれど、他人の生き死にや行動を「どうでもいい」と言いながら、実は結構“他人の目”を気にしている部分もあって、私はわりと頻繁に自分の感情の行き先を見失う。

 

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