こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(更新停滞中。)

目を伏せてもある事実

最近気づいたこと。私、キスシーンが苦手になってしまった。恥ずかしいとか照れる~とかじゃなくて、どっちかというとおえって感じ。気持ち悪くなる感じ。映像か絵で見る上での話ね。文章中とか音とかは今の所気にならない、たぶん無。生々しさか、ただのエロか。これは一体どうしたことか。うちは姉妹ともども腐のケがあるし、昔からアダルティ(?)な場面も全然平気だった(“平気”といってるのは、拒絶感もなければ特に興奮もしない、という意味で)。もちろんストレートカップルの所謂恋愛ドラマも見てきたし、お気に入りの作品もある。その中に、“大人”な描写があっても、然して動揺することなく「そういうもの」として見てきたのだ。しかしながら、どういうわけか最近、少し嫌悪感が現れる。

最初に気付いたのは、ネットを見てた時に出てきた実写の広告。なんてことはない作品か商品かのただの広告なのだけど...目に入って、「きゃー(*ノωノ)」となれば可愛いんだろうけど、おえっとなってしまった。「なんか...今まで深く考えてこなかったけど、気持ち悪いことなのかも...」と思えてきて。そこから少し自分の過去を思い出してみた。やってきたこと、それはそれとしていいし後悔してはいないのだけど、「そもそもなんであんなに平気だったんだろう?」と考え始めてしまった。「好きだからするんでしょ」「美しい愛の行為でしょ」って自分でも思ってた気がするんだけど、なんだかだんだんその感覚を思い出せなくなってきた。「その行為無くしては愛は成立しないのか」「そのシーン無くしては恋愛感情を表現できないのか」別にケチつけてるつもりは全くないんだけど、今の私がどうしてこんな感じになってしまったのか、その理由が知りたい。

過去はもうその当時の私がやってきたこととして、歴史上の出来事のように(というほど壮大ではないけれど)、行為も感情もただあった事実として捉えている。では、今現在はどうか。想像すると、「なんか無理かも...」と思ってしまった。相手のせいとか環境の問題とかでは決してない。(以前“蛙化現象”かしら?と思った事情もあるのだけど、今回のはちょっと当てはまらない気もする。)今まで話してきた中では、“共感性羞恥”が“受ける側”の感覚としては一番近いかしら。でも厳密に言うと“恥ずかしい”ではない。恋愛ドラマの登場人物に共感しているなら、犯罪的シーンでない限り、キスシーンというのは照れる・嬉し恥ずかし・幸せな気持ちであるはずだ(もしくは他人の恋愛に対するミーハーな興奮である)。それなのに、“げんなり”に近い感情になるのは、そもそも共感できていないし、否定的にも感じる。いや、大いに結構、と思ってるんだけど。登場人物に感情移入、共感してこそのドラマ、だとも思ってるんだけど。物語には必要なんだろうし、現実の他人の恋愛において行われるそれぞれが美しい・可愛らしいと、思っているよ。さて、今考えさせられているこの気持ちが何というものなのか、心理学的に名前がついていたりするのだろうか。近々で特に問題があるわけではないけれど、一体私はどうしてしまったのか、新たな謎が増えてしまった。

 

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