こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

whichever or Both

周囲を見渡してあちこち噴き出る不満に、いちいち共感して物申していてもキリがない。とはいえ、世の中を変えるのは小さな声のひとつひとつ、そして積み重ねだということも理解できる。皆ひとりひとり大切なんだよと言われて癒され、とはいえ私なんか特別でもなんでもない、いてもいなくても変わらないんだよな、と思うのも事実。素敵だな、かわいいなと思う気持ちは「なりたい」という憧れにも近いと思うんだけど、それらを愛でる感情と私はそれらに“該当しない”という決定事項のようなものが、隣同士で並んで存在している。刺激を漁りながら平凡を脱しない人生に焦ったり、それでも平穏が一番と言い聞かせたりと、自分の扱いには本当に手間取る。人並みに生命維持できればと言いつつ、実際もう普通を準えていないあたり、気持ちと行動が全く伴ってないなぁと実感する。

思いつきの羅列。不愉快さも含めて、矛盾と我侭のパレード。物事を多角的に捉えたいとはいうけれど、相反する思いを同時に抱きながらさらに異なる視点も欲しがることは、自分で自分を苦しめているのだ。でも、それが癖で、無意識で。多方面に共感し、多方面に反抗し、“要らんこと”まで考え出し、疲れてしまう。最後には「何も思わなければいいのに」と、脳内でもマシンガントークな自分の、横顔を想像して睨むのだ。

君はどう思うと問われれば、全てを答えてきた。「どっち派か選んで」と言われても、どちらにも共感すればその両方の全てを答えた。だって“どう”思うかと訊かれたのだから。それでは先に進めないと怒られたり、できる限りを全て答えるために多大な時間をもらったり、私という人間が何分割かされて、それぞれの立場に立てればいいのにと何度も思った。天秤にかけるのもかけられるのも、数を重ねれば重ねるほど疲れる。

私がうっすらと目を開けて世の中を見ようとするから、いろんな感情を持ってしまう。この手ではどうしようもないことに悲しんだり苛立ったり、今生で確かめる術もない“無関係”なことに感動したり喜んだりする。そうやって右往左往踊らされる自分をどうにも可愛いとは思えなくてね。情報に飲まれて矛盾に塗れて、どっちかというと負の印象に引っ張られやすくて、終わらせたくて最期を意識するのはもう仕方のないことだよ。それでもすぐには切り離せないこの思考パターンや身体や社会に、呆然と立っている。もちろんイメージの話だけれど。現実には朝起きて夜寝るだけの生活の中に、“考え事”がふわふわ浮いているだけだ。

いつかの何かがきっかけで、一本の道筋に定めることや一貫性を持つことを諦めた。選び取る苦悩から逃げたのだ。二者択一でどちらかを選んだり、何も兼ねずひとつの派閥に属することを嫌がった。それが表向きのポーズだけだったとしても、自分と“どちらかひとつ”を結び付けられるのが苦手だった。生きていく中で仕方なく、結果的に“決めた”としても、内心は統一されていなかった。むしろ意識すればするほど、学ぶほど、バラバラになっていった。そうして今、その感覚が強化されつつある気がしている。強化か悪化か退化か、わかんないけどね。

 

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