こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

オイトイテ・オイトイテ

人を思いやっているようなことを言うのは、優しいからではなく、自分に頓着を無くすという、現実逃避だ、私の場合。本来、自分に向けるべき意識を、自分にかけるべきエネルギーを尽くすことなく、「人のことばっか言ってる」ということだ。“自分本位”になりすぎるのも良くないが、自分あってこその他者との“共存”なのに、自分をほったらかして本末転倒している。他人事に口を出すのも“余計なお世話”だし、主語がいつも自分以外になるのも、自分自身にさして話題が無い...彩が無いということである。当然“今考えるべき”は自分のことであるのに、他人事・世間や社会のことを巡らせて、それらに感情も時間も割いて、文字通り逃げている。

自分が、たとえいろんな世間に首を突っ込んだとしても、他者に何の影響も及ばないことに少し安心している。けれど、少し寂しいとも思っている、かもしれない。私が大号泣してもニュースで流れた悲しい出来事はなかったことにはならないし、私が憤怒しても、遠く離れたあの人の怒りは収まらない。私が体調不良になっても、世界のどこかで消えゆく命があるし、私がご機嫌に歌っても、それで解決する問題など無い。少しでも落ち込む気持ちがあるなら、それは自分に期待しすぎでは?と思うけれど、自分が“何か持っている”自信があるかと問われれば自信はないと答える。私はほぼ“無益で無害”だと思っているのに“自分以外”にばかり振り回されるのは、必要以上に感情移入しすぎ、共感しすぎ、ということだろうか。

こうやって自分語りを続けてきて、大変なナルシストか、相反する自己無頓着か、考えていたけど結局どっちもある。酔うまではいかなくてもナルシズムは絶対にあるし、無頓着といいながら恥も外聞も無しに...とまではいっていない。ただただずるいだけかもね。“行動”しない理由を説明するのさえ煩わしくて、“他者”や“世間”への意識で隙間なく埋めて、自分を延々と“置いといて”してる。静止画にはなり得ない毎日を刻一刻見過ごし続けている感じ。“コレジャナイ感”はあってもどうしたらいいのか、わからないな。

全人類の幸せを願う気持ちは、小さくても確かにある。と同時に、全て、何もかもがどうでもいい、誰がどうなろうが私には関係ないのだから、という気持ちもある。矛盾に納得しているようで、あらゆるところにその“引っかかり”を引き摺っている。だからこそ自分なりの普通や平常を、優しいだとか強いだとか自己犠牲だとか甘えんぼだとかか弱いだとか真面目だとか、あれこれ評価されると自分が思っている以上に胸をぐっと圧迫される。ぐえぇ~っと声に出して何かを吐き出している。気にしすぎなのも問題あるし、気にしなさすぎなのも弊害あるよ。

 

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