こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

失いたいものは失えない

自分が過去の何かに苛まれているとしても、それは自分の中だけのことで他人には関係がない。それなのに、今あるものを犠牲にすることで過ぎた日々を償うことを考えたり、確信もないのに今の喪失によって過去を取り戻せると思ったり、と自分だけでは済ませられない方向にばかり目がいく。他人への迷惑や害も仕方がない...なんてそんなわけない。自分が楽になりたいと願うほど他人が楽になれない、それが良いわけがないだろう。罷り通ると思う人、それを許す人も確かにいる。私に対して「やむなし」と言ってくれる人も。じゃあOKとはならないのが自分、思考停止を誇れない。

他人が関わってるからこそのややこしい過去は、どんなにひっくり返して隅々まで見てみても、解す糸口が見つからない。出来事を“なかったこと”にしようと決めても、相手が確かに存在していた痕跡がある。記憶を消したいとピンポイントに意識することで、逆に色濃く残ってしまう。自分ひとりの後悔なら、自己暗示で塗り替えられるかもしれない。けれど関わった“自分以外”が、その改変を許さない。わざとではなく、ごく自然に、事実を受け入れるのが“正しさ”だと促す。

得がたいものを得られないことに納得するように、失いたいものを失えないことにただ頷く。頷き続けている。初めて消滅を願った日からずっと。今は世界と自分を同等に考えるなんて滅相もないし、“不条理も世界”だと受け取る意識があるから、今ここで平然と息ができている。忘れたいのに忘れられない、けれどそれは相手のせいでは決してないね。忘れさせてくれない、なんて憤る時期もあったけれど、自分がそういうシステムに組み込まれてしまっているだけだ。ましてやその憤慨を無関係の人間に見せることは、“これから”というまっさらを生きるのに害を与えてフェアじゃない。

嫌な思い出に良い思い出を上書きできるという。事実かも知れないが何もしないでは訪れない。それなら早くと思うけれど、自分で選んで書き換えることはできないし、丸っきり綺麗な思い出とは当然ならないのだ。私の場合、楽しかったはずの思い出をみるみる忘れてしまうから、きっとそのうち全てを思い出さなくなるのかなと思った。しかし今のところ記憶喪失になる予定もなく、笑えない場面ばかりが浮かんでくる。きっとこの先も、予想通りにも望み通りにもいかないね。解決が解放に繋がるとしても、それは夢でも目標でも選択肢でもない。過去は形そのままに、持っておくか捨てるかしかないんだろうな。

 

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