こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

限られた君の時間を奪えない

恋人に、私を理解してと望むことは、無理難題かしら。いつだって、「わかりたい」と出逢うけれど「わからない」で離れる。私にとって、好意も理解も共感も独立した存在だから、別に両得じゃなくてもいいの。好きだけど、解りえないことはあるし、共感はするけど好きにはならないことだってある。それでも、ふとしたきっかけで望んだ“ひとつ”が、全てを終わりに向かわせるときがあるの。「好きなだけじゃだめだなぁ」とか「一番共感できて一番遠い存在」だとか、ありふれた現象に頭を悩ませる。

相手ありきのことだから、「どこまで許されるか」を常に考えてしまう。私が自分らしく振る舞って、相手が怒ったり不機嫌になったりしない限度はどこまでか。好きなら触れ合いたいと思うのが当たり前?「そうとも限らないよね」と言ってもらえると思わず安心してしまうけれど、相手はもしかしてそれが当たり前の世界を望んでいるのかも。私の思いを尊重することで、自分(相手)の気持ちを犠牲にしてないか。“それも愛だから”と許されている私の自由の限度を心配している。

例えば自分の子供を持つ考えが“今のところ”ないという言葉を、本当の意味でフラットに捉えてくれるのだろうか。“今のところ”を勘ぐって期待してやいないか。「現在まだ存在していない子供のことより、君とずっと生きるということが重要なんだよ」という言葉は素敵だけれど、誰が言っても100%信じることはできない。それが本音かどうかわかるのは言う本人だけだ。証明も、たぶん難しい。いろんな決断に際して、最も重要なのは本人の意思だけれど、家族や社会の関与を全く排することはできないのが“フツー”の人生だ。なんてったって、既に存在しているコミュニティで、自分はその一員で、そこに“気持ち”があるから。全くもって独りで、好き勝手生きてる人のやり方は、もうできない。気持ちがあるから、周囲の話も聞くだろう。取る選択に迷い、板挟みに悩んだりもするだろう。その時に出てくる本音が、私は最も聞きたい。

誰もがわからない未来について、はったりかますのがなんとなく嫌だ。守れない約束をして、嘘つきよばわりされるのが怖いんだと思う。口先だけでできるできると言って、相手を期待させるのも嫌だし、今のところない感情を時が経てば芽生えるかもと自分に期待するのも嫌だ。確かに人の気持ちは変化する、状況によっては180度変わってしまうこともあるだろう。しかし確実ではない。他意はないとわかってはいるけれど、相手に「今はそう思うんだね、今はね」と復唱されると、いずれ変わることを期待されているのかと不安になる。変わらないならないで、「“今は”じゃないじゃん、時間無駄にした」と言われるのも怖い。考えすぎだと言われても、それが現在を生きる私の今だけの気持ちだ。操作できない代わりに、約束もできない。

 

理解と好意 本音と建前 思い通りにならないAmazonで検索