こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

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また言われてしまった。もう何十回と言われている言葉たち。私が劇的変化をしなければ、生きてる限り一生言われ続けるのだろう。だけどどうだろう、てんで効果がないとは思わないのかしら。それでも続けられるともはや執念というか、期待過剰なんじゃないかと思えてくる。まだ、私が“まとも”で“普通”で“やればできる子”で、“能ある鷹は爪を隠す的な期待値がまだある”と思っていて、“いつか、いつか”と“安心できる存在”になるのを待っているのかしら。

誰かと共に暮らす、というのはもちろん恵まれているが、同時に疎ましく思う部分も多い。生まれたくて生まれたんじゃない、を始まりに、居たくてここに居るんじゃないと、自由な足を持っていながらワガママを言っている。「ここに居たくない」は「ここ以外の場所に居たい」とイコールではない。私は今ここに居る恩恵をかなり受けているので、それらを放ってまで行きたい場所がないのだ。完全に甘えている。

「見つけなさい」と散々言われる。見つけないといけないの。見つけないとおしまいなの。見つけることができて当たり前なの。みんなそうやって生きているの。でももう遅いから...と諦める人もいるんでしょう。ではその人はどうしてるの。見つからなくて、見つけてもらうこともなくて、死んだように生きているの。結局ラッキーだなんだというのなら、生き永らえるのも運なんだよな。

「わかる」という人はきっとそれなりの人数いると思うけれど、“理解者”というのはそうそう現れないと開き直っている。家族さえ知らない長引いている感情があるの。お医者さんなら頭で理解できても共感できないだろう感覚も。私の大事な人が私を大事かはわからないし、私を大事に思う人が“理解者”かというとそうとも限らない。“近い”という閃きに、思わず突進しそうになるけど、でも一呼吸待って、よくよく考えてみると端から全く違う人間なのだった。どっかで、同調に、近似値に、“それでいいよ”と言われたい気持ちになっている。「いいよ...ってそんなわけあるかよ」ってノリツッコミ込みで、私は不安定で救われ待ちなんだなって思った。救い、なんて、まさか窮地にいるかのような言い方だな。

何にも持っていないと嘆く人は大勢いて、その中でそんなことない何かは持っていると否定を貰う人も一定数いる。ありがたいことだけど、思いを覆すにも結構なエネルギーがいるものだ。みんながみんなそんなバイタリティある人じゃないし、それがあったらそもそもここで立ち止まっていないだろうし、なんていって“世間”を困らせているのは別に喜々としてやってないんだけどな。小さい頃からずっと大人に従い続けていたら、こうはならなかったのだろうか。やっと責任転嫁するのを止めたのに、ここにきてそんなことを思いつくのは、無責任かな。

 

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思いつき無職生活 職なしガールの残念だけど悪くない日々

たまたま見かけて読んでみた作品。地味~に共感してゆる~くページをめくりました。クスっと笑えた。

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