こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

それはそうだしこれはこう

喧嘩する気力もない。黙って話を聞き続ける体力もない。ひとりで生きていく気概もない。全てをぶち壊す勇気もない。このままが楽でいいなとも思うし、このままいくのも意味ないなとも思う。自分の生きがいを他者に当てはめるのもなんか違うと思っちゃうし、自分自身に生きがいを見い出せないのも情けないようなしょうがないような気もしている。変わりたいし、変わりたくない。変われるし、変われないとも思う。

全て要る命だという。私もそれに賛同しているけれど根拠は特に持っていない。それに疑ってもいる。本当にそうなの?と。それは生産性とか優生理論とかそういうことじゃなくて、私ひとりに対して、ね。世の中の全ての命が大切だけども、他者に向かって思っているほど私は自分をそうは思えない。「“全て”に自分が含まれていないと考えるなんて、自分を特別な人間とでも思っているのか」と言われるがそれはまた違うんだよなぁ。別に同じ人間だと思っているよ。命としては同じ取り扱い方だろうね。世の中から見た“全て”、私から見た“この視界に入っている”私以外の“全て”、これは意識と視点の違いだろう。要ると思う理由も要らないと言える根拠も、どれも特にない。ただそう感じるだけだ。「今すぐ自分消えろ」と思いながら日々過ごしているわけではないし、“全て”無事ならば...と不条理に怒ったり哀れんだりしている。「私はどっちでもいい奴だけど、そちらさんは絶対要るんでしょう?」と返したりすることを「自己犠牲的思考」と言われたこともあるが、そんな綺麗なものじゃない。特に重要視していないだけだ。

人が定めてくれた居場所で、今は良しとしている。「君はこのコミュニティの一員だよ。そういう風に組み込まれているよ。」とされているから、ここにいる。独りにもならなくて、漂ってバラバラにもならなくて、ひとまず安心だ。私の“自由”なんかに左右されずに、誰かが望んでくれることによって、ここに居続けられるのだから、感謝こそあれど恨みなんかない。しかし感謝...の続きとしての信用は、なかなか生まれない。己の自由を行使して、「“君は必要な人間”だと、自分が決めればそれが道理だ」と堂々とされても「君が信じなくても、今や“地球は丸い”と同じぐらい当然なんだよ」と言い切られても、ただ「そう」と思う。言っていることは理解しているけれども、同感ではない。他人事のようだけども、一向に肯定されない相手を、いっそ不憫に思う。私に変化を促すのはなかなか困難だろうなと。普段ふにゃふにゃしているのに、こういう部分は頑固だ。“完璧主義”なこだわりはない、こだわりがないことにこだわりがある。譲れないと思っていたことを譲ることで楽になったのに譲ったことを後悔している。別にどうでもいいはそのまんまの意味なのに、あれこれ深堀されるのが嫌だ。全てがああ言えばこう言うだな、と相手が悟った時の“どうしようもない”顔を、好き好んで見るつもりはないのだけれど。

 

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