こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

thanks or forgiveness

今まで自分に関わった人、全てに感謝、とは全くならないから、こんな私はこの先良くなっても悪くなっても、やっぱり地獄行きだろうか。人間関係を損得のみで判断するほどやさぐれてもいないし、マイナス感情でも“経験値”をくれたことを“恵み”だと考えることもできるけど。中にはどうやってもいい思い出にはできず嫌な印象だけが残っていて、時間の無駄だったと思う関係もあるのだ。

散々貶されてもそれによって内面が成長できたとか、結果オーライならそれは“必要”な出会いだったんじゃない?相手の不幸を望んだりはしないけど、リアルタイムの本人のことはものすごくどうでもいいのに、過去の姿に対して、恨みや哀しみや怒りを捨てきれないでいる。肌が美しくなるわけでもお腹が満たされるわけでもないその経験や感情を、要らん荷物だと言い切れないが否定もできない。時折フラッシュバックしてはHP削られるなんて、そりゃすんなり「ありがとう」とは思えないわけだよ。

感謝できようができまいが、これまでの私を形作っていることは事実だ。幼馴染は大いに私の人生に影響を及ぼしているし、友達や先生や同僚に言われて心揺るがされた言葉はいくつもある。ざっくり見れば恋愛に振り回されている人生だとしても、そのひとつひとつにおける価値観はみな違うのだ。素敵な思い出や苦々しい記憶は、相手次第のみでなく、私の精神状態や物の見方によって、恐らく変わっている。好意的に思えないのは私が好意的に見ないせいとも言える。だから、関わった人の方を責めるわけではないけれど、やっぱり全部が全部「出会えてよかったありがとう」とはならないんだ。

全て運命だとか起こるべくして起こった奇跡とか、自分以外が語ってくる必然は残酷だよ。「全てあなたの為に」って、「余計なお世話してくるやつもおったもんやな」って言いたくなる出会いもあるよね。愛する人はとことん愛しているけど、嫌いな人はとことん嫌う、でも実際そこまで嫌いな人って実はいなくて、本当は誰もかもわりとどうでもいいんだ。私の嫌悪感は、人間にじゃなく、事象・出来事・状況・印象に向いている。自分で招いた=自業自得とも思うし、「起こったことはしょーがない」と済ますこともできる。そうやってなんとか諦めようとしてるから、全てに感謝的な聖人になれなくたって、まともに生かしておいてほしいな。別にずっと恨み節謳いたいわけじゃないから、気持ちの転換もしくは抹消は微かな希みではあるのだけどね。

 

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