こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

cooking game

料理があまり好きではない。「食べることは最も重要なことだから」「死ぬまで必要なことだから」と育てられたわりには全然興味が湧かないまま大人になってしまった。やってできないことはないだろうし、今は必要に迫られて毎日その時間が来るが、しなくていいなら、できればしたくない。「食べることが好きで自分が食べたいもの食べるために自分で作る」という人がいた。私とはほぼ正反対だなぁ偉いなぁと思った。確かに私にも“おいしいもの食べたい”という気持ちはあるが、“食べたい欲”と“作る行為”の間に私の中心ともいえる“怠惰”が居座っている。普段は半ば強制的になんとか乗り越えてるだけであって、元来の性質的には、“食べたい欲”はその“怠惰”の壁を上回れないのである。味音痴のつもりもないが、まぁ口に入って栄養になるならそれでいいか、と思って普段の料理らしきものをしている。ちなみに好きな食べ物を人に訊かれて答えると、毎回「栄養ほぼないじゃん」と言われる。「むしろ害じゃん」とも。でもみんな栄養素で好きになってないでしょ?味とか食感とか旨味とか、だから選定方法は同じだよ。

子供の頃、包丁を使うテストで、キュウリの輪切りとかリンゴの皮むきとかやったんだけど、全滅だったな。当時は「えへへ~できな~い」とぶりっこで切り抜ける方法も思いつかなかったので、ただただこの時間早く終われと思っていた。子供ってば残酷なので、案外手先が器用だと思われていたらしい私に周りが口々に「意外~(に下手)」と言ってくることに傷ついたし、先生も乗っかってたので「勝手に期待してんなよ」と心の中で悪態ついていた。「いいの、家でお手伝いしなれてる子がもてはやされて、高評価もらって、そこで終わればそれでいいの」と祈っていたのに、結局追試まであった。調理においては丁寧と手早くの両立が必須なのに、私に手早さを求める時点でもうどうかしてると思ったよ。成長によってその腕が変化することもなく、苦手意識も相変わらず携えたままだ。

お菓子作りにハマった時もあるし、バレンタインとかも手作りしてたけど、“気持ちが嬉しい”という手作りの意味がだんだんわかんなくなっちゃったんだよね。おいしさなら既製品に負けるし、気持ちが伝わるとか言うと逆に買ったもんじゃ気持ちは伝わってないんだねじゃあ送るのやめるわって思ったし。料理を楽しむ気持ちがわからないわけじゃないんだけど、たぶん工程がたくさん用意されているのがしんどいんだと思う。単純作業なら延々とやってられるし。ずっと千切りとか、ずっと泡立てとか。でも家庭料理にずっと同じ作業とかないしなぁ。やっぱり手際とか手早くとか求められると、よっぽどのきっかけがないと、好きになれない気がする。(何かの食材をめっちゃ気に入る、とかね。)

 

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