こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

ねがいごとは見ないふり

「モチベーションください」短冊にはこう書こうかな。形も行方もわからないものを探し続けるのは疲れた。好きなことを好き放題するためには、まず義務を果たさねば。逆に言うと、義務を果たすためのモチベーションとして好きなことが存在する。これは怠惰な私にとって重要な事実だ。

多少の辛いことも、我慢も、やる気の出ない状況も、好きなものことのためにがんばれる、そういう勢いみたいなものが、ある人はいいなって思う。やりたいことのために突き進むのは、自由で勝手で単純明快。欲望のために、大切なもののために、時に何かを犠牲にしたとしても、それがあるからがんばれる みたいな、そういうモチベーションをちゃんと自覚して手にしている人は能動的で素敵だなって思う。私あんまりそういうのないんだなぁって、年々わかってきたよ。好きだけど、突き詰めればそれほどでもない。かといって好きじゃないわけないんだけど、無きゃ死ぬってほどでもないかな。それらが、あってもなくても死ぬときゃ死ぬもの。(というか、執着あるけどそれを乗り越えてくる消滅欲求が存在するだけ。)だけども、そういうところに、必死に縋り付いたり、がむしゃらになったり、意地でも手に入れようと藻掻いてる姿は、なんかいいなって思う。そこまで、虜になったり、虜にし合ったりしているの、未知っぽくて、なんだかいいな。

エスカレートすれば、依存を生むかもしれないけれど。(私も集中の仕方にそのケがある方だけど。)純粋に、何かを糧に成長したり、感情を盛り上げることで進行や向上が促されることは、きっといいことだよね。ただ持って掲げているだけではダメで、どう上手くコントロールするかなんだろう。持たざるものが持つためにはどうするか、については、全然答えが見えないんだけども、“ねがいごと”が受理されない限り、誰も与えてはくれないんだ。「全部大切」なんていう人は「どれも大切じゃない」んだって、言葉自体には傷つくけど、確かにそうかもなぁって思った。気になったり、気に入ったり、わりと簡単にするけれど、もっとも守ってるのは自意識でそれはプライドとも言えるかも。プライドが高くて、そのくせ自分の愛情を誇るほどの自信はなくて。ここでもやっぱり、「私の“好き”はそんなに価値ありませんよー」って気持ちが隠れているのかも。

好きだけど、無理してまで求めることじゃないってなるのは、無理して求めた結果を手に入れている自分に、意味を感じられないからだ。「好きは好きでいいけど、あなたがそれを求めることで世の中になんかいいことありますか?」って勝手に試されている気分になっては一歩引いてしまう。軽く好き、ではもうモチベーションに変換できないぐらいやる気がないから、どこかに強烈なやつ、落ちてないかなと本気で思う。

 

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