こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

情熱って後天的

私も、プライドが高いのか低いのか、よくわからないな。好きなものを語りたくなっても、浅い知識や伝わりにくい熱量を他人に評価されるのが嫌で、そんなの自由でいいってわかっているのに渋ってしまう。曝け出して恥をかきたくないと、実は思っているのかもしれない。一方、傍から見れば十分だらしなく、馬鹿にされても致し方ない状態でも、微かな抵抗の後、早めに「まいっか~(もういいか~)」となってしまうので、自分を守りたいのかどうでもいいのか、結果謎な動きである。

生きる目的は見つからなくても、それなりに好きなものがあるのだ。けれども、それらに対する積極性は、以前より減ってきたと感じている。何が何でも手に入れたかったCD、何度食べても飽きないスイーツ、色褪せない思い出の回顧、にわかと言われても振れてしまう好奇心。根底が怠惰な私の、貴重な行動力だったのに、それらを求める途中でやる気が力尽きてしまう。自分から取りに行けない。言い訳をいろいろ用意しながら、ゆるく手を引っ込めて、踏み出さずに倒れてしまう。何故だろう。怠惰なのはもうずっとなのに。死んだら何も持っていけないことは昔から知っているのに。今になっていろんな方面の熱が奪われていく感覚は何なのだろう。“悟り”と言われたりもするけど、決して高尚でも冷静でも落ち着きでもオトナでもない。“情熱”みたいなのは昔からほとんど無い方、でもじんわりしたヲタク気質は持っていると思う。人を好きになることも、相手の熱量は関係ないからこそ、自分の自由な裁量で火加減調節してきたのだ。ほとんどがドライだと言われてきているけれど。現在は増してクールになっているのであれば、恋人は大層可哀想なのだろうか。

知らない自分になるならば、“努力して手に入れる”をしてみたい。“ないならないでしょうがない”が染み込みまくってる人生だけど。“叶わない夢でも追いかけたい”や“何が何でも達成したい”って考え方を持ってみたい。譲れないものが明確で、生きていることにただ感謝する、私はそんなの未経験。“そうしない”のが私だけれど、“そうできない”のかはまた別だから。悲観的でなく、自然な流れで“しなくてもいい”を選んで来たけれど、積極性が自身にどう作用するのか、少し見てみたい気もする。

運命的出会いを果たした人、情熱を持って取り組む人、明日を待ち遠しく思う人、そりゃあ羨ましいよ。どうなってんの、どうやってんの、って思う。「惰性だよ」って言ってる人も、とはいえ明日も生きるつもりでいるし、一日でも長生きしたいって言ってみたりさ。未来が楽しみな人が積極的なのはわかるけど、今が「つまんない。くだらない。」って言いながら延命を望むのは、その先変化がある(もしくは自分が変化する)と、期待しているからなのか。向上はもちろん、現状維持もパワーがいる。何かの低下を遅らせることも、少しずつ何かを削っている。そう考えると、“上へ上へ”“より良い”を目指している人の逞しさといったらないわ。それは間違いなく私以外の人。

 

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