こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

かなうってこと

叶えたいこととして一番最初に思いつくのは、もう絶対叶わないことで、なりたいものややりたいことを訊かれても、どれも手遅れなんだ。今が一番若い、明日より今日のがだいぶ早い、それはわかっているけれど、それで“タイミング”が今になるわけではない。例えば「将来は猫になりたい」と言ったら、子供のみる夢だとすれば可愛げで済むだろう。大人には模造や代替案でOKだとされるだろう。(そもそも本気にもしてもらえないかも。)私はその答えにきっと頷く、大人だから。だから、わかっている、叶わないってことは。当初の、本来の“なりたい”は叶わない。そりゃそうだ。魔法も暗示も、本物でなけりゃ全て嘘だ。叶わないということを、知ってしまっている。そのレベルの話。「まだ間に合うよ」「似たようなものならあるよ」はお門違いなんだよ。

意識より行動が先だと、まず動くことを勧められて、できるのはベッドから起き上がる、くらい。最低限の生活行動で許されること自体どうかと思うが、それに対して許しを乞うて平然としていられるのもどうかと思う。いつまでもそこに留まってちゃいけないと言うなら、一体いつまでいいのか。いや、今も“いい”わけじゃないから、じゃあいつまでだったらまだよかったのか。“叶う夢”や“適う行動”を求められて、「わからない」と止まっていることを、意思表示だと胸張ったところで笑えない。全然穏やかじゃない。

時が経てば経つほど磨かれるキャリア、というのは積み上げてこその価値だ。ただ何もせずに流れた時間が残すものはほぼない。未知の先を目指すなら、今が始まりだとして可能性は無限大、そこに賭けたい気持ちと、もはや生まれた時から、ある程度の条件は決まっていて、どこにも全くの自由はないと思う気持ち。それらの何もかもが、言い訳と感傷だと、わかりきっていて、でもどうしようもなくて、目を伏せる。そうしてまた何もせずに時が流れる。昨日より立派になったのは無駄な脂肪体だけで、磨くべき原石すら手元にはない。

その続きがない望みばかり思いつく。そのものが始まりで終わり。一度でも満たされることが奇跡なら、継続は奇跡の延長だから。再来はもっともっと奇跡だから。そこまでの強運は持ってないから、その続きなんて望めない思いつかない。考えるだけ不安になるの。そもそも“たった一度”だって来ない可能性があるのに、それ以上は...たぶんそれはまた新たな望みだよ。断続的に考えられないことを“毎日生まれ変わる”と捉えると、それはそれでおもしろそうだけど、自分の延長上に自分がいないなら、じゃあ今の“コレ”は何なのだと、混乱する。積み重ねるって、続きを夢みるって、自分が自分である確認、でもあるのかも。

 

叶えたいこと 叶う夢 自分とは 不可能 可能性Amazonで検索