こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

ノイズキャンセラー

他人の事は全てノイズだ、自分のことだけ注目すればいい、そう言われてしまうほど、私は雑音に振り回されているのだろうか。ものすごく自己中心的にやってきたと思うのだけど、自分の事さえノイズに感じてきたから「どこかへ逃げたい」と思うのだろうか。ここが、逃げ出したいほど恐怖の場所というわけではないし、逃げて行く宛もないのに。自分から進んでここに留まっているし、動くの面倒くさいと常々思っている怠惰だけど、どこかまるっきり違う所へ、頭も身体も総入れ替えする気分になるような所へ、飛んでいきたいとふと思う。

いつもではないけれど、とにかく騒がしくて、うるさくてしょうがないと思うときがある。音も、目に映る色も、他人の存在も、世に溢れる情報も、刺激を受けて反応する自分の感覚や感情も、全てすべて、うるさいうるさい。目を閉じて、眠れば静かになると思いきや、夢を連続してみるから、落ち着かないまま疲れた目覚めを迎える。刺激そのものを否定するわけではない。多くの人にとって、時に自分にとっても魅力的なものが、何故かうるさいものになってしまう。どう思うかは、そのときの自分次第なのだ。

騒がしい場所、人ごみなどは元々苦手だが、それも少しの時間だったら有りだ。むしろ刺激として必要なときもある。音楽とかLIVEで爆音で聴きたいときもあるし、雑踏に美しさを感じることもある。私が苦手なのは、それそのものより、そこから平常に戻る過程なのだ。祭りの後、が長い。非現実的から通常の現実に帰ってくるのに、すごく労力がかかる。気持ちの切り替えが難しい。だから、極力動きたくない面倒くさがりな私は、元通りになるかもわからないその賭けに、乗り気にならないのである。

音も色も人も、今はたくさん溢れているし手近だから、ポンと飛び込めば簡単に塗れられるよ。だけど一度触れたものから抜け出すのは、結構難しいね。ガヤガヤしたところに自分から飛び込んだのに孤独を感じるし、「うるさい」と叫んでも何も消えやしない。そういう自分が一番うるさいんじゃないかと思うね。気にして、振り回されて、ドタドタと右往左往する足音とか。静か過ぎてここから出たい、うるさ過ぎてここから出たい、どっちもあるけど、どっちもただの思いつきで実行しないところが、やっぱり自分だなぁと変に感心?したりして。全てを遮断された部屋に閉じ込められると人は発狂すると聞いたことがあるけど、喧騒も全停止も、終わりがあるから良いのではないかしら。私も、望み叶ってまったくうるささを感じなくなったら、それはそれで寂しくなるのかもしれないし。今は目を閉じ口を閉じ耳を塞げば耐えられる、言っちゃえばその程度のノイズだよ。

 

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