こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

な、な、

1年の半分が過ぎて、今日からあと半分。私は“相変わらず”だけど、“どうにかしたほうがいい”相変わらず、みたいだよ。現状を共通認識として話せる人は、ほぼいないらしい。きっとしょうがないんだろうけどね、自分から窓を閉じてしまうのだから。ただ、閉じているけれど、ガラス越しに見えてはいるよ。こちらのことも、見えてはいるんでしょう、声がないだけで。この生活で、日々があっという間な気もするし、延々と続きそうな気もする。何かと“無駄にして”過ごしている自覚はあるけど、それが後々無駄じゃなかったって思う日が来るのかな。私のことだから、そんな“後々”は来なくて、無駄にし続けている感じがする。

なんとか振り絞っている毎日を、終わりにしようかまた迷いだしてる。100以上の自分語りは「うわーナルシストみたいじゃん」と自嘲するけど、「まぁよくやりましたわー」と他人事のように感心する気持ちも少し。まぁ無理矢理だけどね。書かなくてもいいとすると途端に何もしなくなる気がするし、まだ一文字でも打てるうちは、当初決めた“継続”の訓練として続けるべきかなーとも思う。文章量が減るとか内容がますます薄っぺらいとかは堪忍な。元々“読み物”じゃないのだから、別に誰かの許可もいらないし、私が決めるだけなんだけど。まだ完全に慣れたわけじゃないけど、今のリズムを崩すってなるとなんだか少し違和感があるように、自分が自分に仕掛けた作戦だから、まだそれに縛られることにする。

 本当に、刺激のない毎日。たぶん、多少の刺激なら欲してるけど、多少の刺激でも堪えるの。私って、そういう生き物。もう長らく、他人とほとんど関わっていない。連絡事項は機械的になり、生活を知らなけりゃまるで時が止まっているよう。そのおかげで、私から見た関係性や気持ちは変わってないけれど、相手から見たらいないも同然かもね。外に出てお店に行くと、いつもの業務の店員さんより私の方が、おつかい用のロボットみたい。必要なことをクリアできれば、目も合わさない。人が嫌い、人が怖いというわけじゃない。ただ、「やることやって早く家に帰りたい」それしか考えてないんだ。

そんな中で、何か目新しいことなんて書けるわけない。エッセイというには、私は周りのことを見てなさ過ぎるし、見えてなさ過ぎる。だから、脳内吐露とずっと言っているけども、その脳内も淀みないときの方が少ない。同じ渦を掬い取っては戻し、をしている。これをあと○年するように、と申し付けられたのならゾッとするけど、特に指示でも推奨でもなく、自分でやりたくてやっているのだから、ダメ無理となるまでは変わらぬスタンスでやっていくだろう。もし内容に変化があったなら、実生活で何かあるのかもね。こう見えて(どう見えて)じんわり影響されるから。あまり人間感を見せたい人ではないんだけど、ミステリアスなカピバラで行こう。

 

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