こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

無関心と天覆地載

前回も含め、時々好き放題なことを言っているが、私は大して偉そうに言える立場ではない。「どの口が言う」という瞬間は多々あるし、「口だけ達者」は本当である。それでもあえて言うが、ここは私のフィールドであり、記憶と記録のためと宣言して始めた。だから思ったことを書くし、脳内を流れてきたものを濾過しようが垂れ流ししようが自由にする。私が意識的に自由に“している”のだから、誰がどう思おうと構わないのだが、誹謗中傷や攻撃する意図はさらさら無いということは理解いただきたい。

こんな風に予防線のような注釈を貼りながら、私だって多少は恐る恐る発信している。話す量が多いわりには真意が伝わってないと思っているし、誰だって傷つきたくはないだろうけど、“物申したい欲”には抗えないでいる。みんな意見を挙げるのは自由だ!と言いながら、それを受け入れる体制がまだ整っていないことにも気付いている。真に望む自由とは、誰もが好き放題言えるということではなくて、自由を自由として泳がせられる、受け取る側の柔らかさや寛容さが整っている世界線だ。議論も成り立ち、スルーも尊重される、私の「どうでもいい」も存在を許される。そんなこと、理想は理想と言われても、あるといいなそんな世界。

人のことをとやかく言っているように見えても、最終的には内省、自己中心な私。大概のことはどうでもよくて、他人のものさしやメガネを借りて、物事を見ている感じ。内に内に向かっていく思考だから、誰かに向けた善意も悪意もないの。表に出した内容以上のものを掘られると、そりゃあ抉られるんだよね。お互いに悪意がないから、ほんと無駄な傷なんだよ。それは勘弁、と思っているから恐る恐るにもなるし、予防線も張る。

自分が放題になるにはいろんなスキルや条件が足りないけど、全部手に入れる必要ないし、別に放題を目指しているわけじゃないんだよね。私が自由を謳歌して満腹になるのは、自分の実力だけじゃ無理だから。何が何でも好き放題したくなったら、それこそ覚悟のスキルが必要だろう。私、未だに持ち合わせてない。

私がこれまでのほとんどを自分語りに費やしているのは、たぶん他人にあまり興味がないからだ。人間って面白いな~と思うし、好きな人もいるけれど。世界情勢も気になるし、宇宙研究もときめくけれど。その全てを包むざっくりとした概念が「どうでもいい」だから、それを意識した瞬間すべてが薄まるんだ。世界には自分も含まれる。自分のことばかり話すから自分大好きのナルシストってわけじゃなくて、ふとしたきっかけで自覚して糸が切れたら、自分語りすらやめるかもしれない。全てから微かな興味も失ったら、それは自暴自棄の始まりだと思うし、そうならないがために言葉を探して綴っている感はある。

 

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