こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(更新停滞中。)

鎧と裸(布の服は無いのかよ)

誰とでも話せるけれど、誰にも心を開いていない、というのはわりと真実だと思う。話すということ自体が“作業”だったり、全て・正確に伝達する方法としては不完全だと思うから。少しは人に理解して欲しくて、表出よりは一歩先へ努めてみるけど、結局わかり合えないしな、と閉じてしまう。フルオープンかフルシャットダウンが性格的には理想なんだろうけど、そんなこと現実世界では無理なので、“大概は他人”という線引きと、ごく少数のそれなりにオープンな人たち、で私のセカイは構成されている。

初めましての人も、トラブルを避けられるなら無関心でOK。気に入られたり仲良くなる必要もない。嫌われたり怒られたりするくらいなら。私は喧嘩や怒号が怖い、だから不穏になったりぶつかり合うのを避けたいんだと思う。殴り合って仲が深まるということも確かにあるだろうけど、その微笑ましい結果を迎えるまでに私の体力気力は尽きてしまうだろう。

自分を曝け出してもいいことなんか今までなかったな。私が本能剥き出しになれば、相手を支配しようとするし、そういう自分が本当に嫌になる。無理して笑わなくていいと言ってくれた人も、素の残酷さや冷酷さを見れば離れて行くし、無邪気で無防備なところが好きと言ってくれた人も、“女”や“大人”の対応を求めてきて勝手にがっかりされて。なんかそういうのどんな人でも定期的に繰り返してるからもううんざりだ。オープンマインドと外界すべてシャットアウトは表裏一体だけれど、自分の領域開けっぴろげと孤独もまた表裏一体だと思う。私はいつだって覚悟が足りない。その覚悟も一瞬の決断じゃなくて継続だから。腹括ったままでいるというのはたぶん修行だ。

本当の孤独は人を殺せると思う。今はまだ肉体的にも一人じゃないし、どうしてか私を手放そうとしない人たちもいる。だから完全なる孤独とは対峙することなく、のうのうと生かされている。もし追い詰められた末に人を欲しても、心許した途端に打ち砕かれる、そういう反動が怖いから、強く濃くを求められない。人はそう両極端じゃないよって言われるけど私だってそうだよ。だからこそ、刺激のない、波風立たない、浮き沈みしない、有頂天もどん底も感じなくてよさそうな場所を探してる。振り回す身勝手さは残っていても、振り回される気力はあんまりない。

とはいえ、望んで手に入れた平穏もぶち壊したいという野性が、私にまだあるのかも、と思ったりもする。0か100かを求める気質が、ならばフルオープンでいたいと考えるかもしれない。誰もに心晒してズタボロになっても覚悟の上 ならば、そういう生き方もいいのかもしれない。何より嫌われ者になるかもしれないけれど。それもひとつの人生、孤高と勘違いしたまま死ぬかもしれない、おもしろくなるかもね。

 

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