こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

これではない別の何かに

もっと単純で無知だったら、物事を難しく考えたりせずに、価値とか意味とか意識したりせずに、流れに任せて気楽に生きられただろうか。もっと頭が良くて、優秀さと閃きを兼ね備えていたら、それを存分に活かしたいと奮起したり、他者への貢献で心満たされたりしたのだろうか。それらの間、なんとも中途半端、だが大多数はそれだ。そのことに特段違和感を持たない人たちもまた、そうではない人間から見ると「それならばどうだろう」と考える仮定の対象である。

“普通”の人生を、歩みたいのに歩めないわけではない。歩まないと決めているわけではないが、歩もうとしないのだ。致し方ない事情はない。知らないからとか、身体的に無理だからとか、周囲が環境がそうさせないとか、そんなものは一切ない。しがらみのせいではなく、意志の現れだ。むしろ周囲は“普通”を実行させたがっている。それに抗っている形なのは己の我侭だ。「どうしてできるのにやろうとしないんだろう」自分から染み出したわけではない心配や焦りが、生温く視界を取り囲んでいる。

日々の小さな幸せを堪能しないから、インパクトのある出来事や絶対的な価値を欲するのだろうか。だけども「小さな幸せに感謝」って何だ。生きていることに、恵まれていることに感謝して、その続きはどうすればいいのか、誰も教えてはくれない。朝な夕なに無事を祈っているだけでは、誰も生かしてはおけない、自身も、他人も。「何の為に?」と私が目を見つめると、まっすぐ返される言葉、それにも心から頷いたことがない。該当する言葉が無いのか、その言葉を話す人が存在しないのか。答えを“外”に求めているように、“内”だけでは埋められない穴がある。

「とりあえず」で行動できる人は、自分には残弾があると思っている。「ひとまず」でその先が叶うのは、残弾をちゃんと把握できている人だ。そのやる気さえ起こらないの人は、自分にはもう何もないと思っている、もしくはあるかもしれない残弾が見えていないのだ。人の言う通りにするほど従順ではないし、突っ走るほどの狩猟本能も出せない。簡単ではないことを簡単にして見せるのは、努力や慣れでできるのかもしれない。簡単なことを簡単ではないようにして見せるのは、わざとだけではできない、そうなってしまう偶然も必要だ。奇跡を心待ちにしているような、余裕があるように見える?全然、なんだけど、あまりに動かないと、そう見えることもあるみたいね。本当は最低限さえ放棄しているかもしれない。ないものばかり見つめてもしょうがないけど、あるものも数えられないしな。

 

自分の立ち位置 平凡な人間 普通の人生 行動力がない 心の穴 ないものねだりAmazonで検索