すぐ疲れたって言う
そもそもあまり閃かないのだけど、私は思いつきを即実行するタイプの人間ではない。長所には慎重と書けるし、短所には臆病と書ける。腰が重いことを怠惰と位置付けるのも、出処は同じだと思う。「あ、いいな」と思ってすぐに行動に移す人、それって才能だと思うし羨ましい。元来の性格もあるだろうし会得するものでもないと思うけれど。心配症だと言って、同感をもらえている間は笑って済ませられていたけれど、怠惰を開き直りだしてからは、不可、共感は望めないとわかった。“思い立ったが吉日”は子供の頃からの訓練だと思う。大人になって、周りから発破かけられても、なかなかすぐには生まれ変われない。
そうは言っても「やるべきだ」と思うことがあるならば、まだ明日も生きる気があるってことだよな、と自分自身に片目を瞑っている。無気力な顔と期待を持った顔が交互に現れる。二面性よりも多面性よりも複雑に、刻一刻と移り変わる“自分”に、今日もモヤモヤしている。恋をしたって死にたくなるときはなるし、孤独を思い知らされたって明日を当然のように待っている。ぶんぶん首振って目まぐるしく、時に酔っちゃうくらい“自分如何”に振り回されているな。
病院に行ったほうが?カウンセリングを受けるべき?何でもいいから適当に手を出してみる?どこでもいいから旅に出たほうが?いっそ全てを失ったほうが?それとも変わらない日々の中で奇跡的な自然消滅を願う?「答えは自分の中に」なら誰にも問えないけれど、誰でもいいから答えてくれないかな。それを信用するかどうかは、また別として。
私は争いたくない。たとえ自分相手でも。とにかく今はそんなの疲れるって思っちゃう。競うこと、争うこと、憤怒や悲哀に心かき乱されること、どうしてわざわざこんな思いしなくちゃいけないのってくらい、耐性がもう皆無に近い。近づいてきた。元々そんな感じではなかったと思う。いつからか、論破だって特技から回避したいものになった。だってそんな資格ないから、無知だから、疲れるから。新天地や新時代、興奮と同時に与えられるマイナス感情は、不安と焦燥と“がんばってもいないのに疲れる”という矛盾でできている。
一時の気の迷いなんかで、決断を大事(おおごと)にされるのは好きじゃない。それなのに、時々博打みたいな思考になるし、捨て身で冒険するほど大胆不敵にもなりきれないのに、いきがってる少年みたいで急に恥ずかしくなる。もう少し、怠け者ならナマケモノで、スマートな動きはないものかと考える。けれども結局、どの選択肢も逃げだな、そう思うとまた今日も早く終わらせたくなっちゃう。あーあ。