こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

そうは言っても自己中心

醜い羨望が、かといって嫉妬や僻みほどねちっこくない感情が、どきどき唐突に駆け上がる。「いいな」と口にすれば自分がものすごく自己中心的で弱い人間に思えて、「結局他人事」と出しかけた刃物をしまうのだ。“ない”ものを数えればキリがない。この世に在ると知っているものを自分の“ない”のカウントに利用して、あれもこれもと嘆く、なんて傲慢だろう。他人が手にしているものは、自分から奪われたものではないのに、持てる人を恨めしく思い、自分は失った気にさえなっている。すぐに、“初めからない”ことには気付くよ。そして失望を深める。その現実に?否、そういう思考に至った自分自身に。

このブログ、気づけば100投稿を超えて、こうもネガティブ発言を続けられるものかと思う。私という人間の汚さを垂れ流して、本人は満足しているかというと...そうでもないかしら。自分自身がこんなに愚痴っぽくて、不満文句を零しては行動しようとしない、我侭で怠惰な人間だと、改めて確認させられる。やる気を持たないクズでも、基本は平和主義だし争いも騒がしい所も好まない、ただ穏やかな世界が見たいだけの私は、荒廃的で暴力的なクズよりはマシだろうか。まぁ上には上が居て、下には下が居る。素晴らしい人も最低な人も、私ではない・私とは違うってことだけが事実だ。

「根っからポジティブです、だからネガティブな人の気持ちはよくわからないけれど」みたいな人に出会うと、突き放されたような気持ちになる。住む星が違うのだとすぐに思う。性格としてのポジティブは、必ずしも他人にポジティブ作用をもたらすわけではない。その思考は光でも勇気でも高揚でもない。私はよくポジティブに“アテられる”。それによって元気になったり前向きになったりしない。疲れて、傷ついて、ますますネガティブに傾くのだ。初めは羨ましさを持って近付くけれど、その明度、パワー、スピード感、何かしらに“やられて”、参ってしまう。「前向きになれるのだろうか」「積極的になると人生変わるのだろうか」「素敵を真似ればやがて」と模索した結果なのに、得られるのは謎に狼狽した自分。

あんな風にやりたいなとたまに引っかかるときもあるけれど、ただの思いつきから方向転換も容易じゃないし、まあ私のやることですから...と維持継続を選ぶだろうな。ただ書くことの継続にもいっぱいいっぱいなのに、変に自身への期待値が急上昇したりして力不足もいいところ。役に立つとか、おもしろい文章書けなくてすみません。誰かの為にとか喜んでもらいたいとか、思える人間じゃなくてごめんなさい。(って誰に謝ってるんだろう。)こんな鬱陶しいもの誰も読まないよって、わかっちゃいるけど淡く淡く、私以外の誰かが記録の目撃者になることを望んでいる。小馬鹿にしてもいいよ。失礼しました。

 

醜い羨望 きれいな世界 ないものねだり ネガティブ発言Amazonで検索