こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

そうじゃないとも言い切れない

現実を見ろって言われると、傷つくなぁ。夢見てるわけでもないのに。否が応でもここにある現実を、ただただ嘆いている。どんな状態でも存在していればOK、はあんまり正しくない。仕方のないことはさておき、仕方のなくないことで構成されている自分を、そんな簡単には“見逃してもらえない”。って昨日、“見逃されている”と書いたばかりだけど、もちろんこの世は私を甘やかすばかりではないのだ。多重される世界で生きていて、ある部分では拘束されある部分では野放しにされている。それぞれに“かくあるべき”という主張があって、事実以上の心配や期待も含まれる。「やればなんでもできるのに」は聞き飽きた。繰り返し訂正してばかり。やればって、やれてたらそもそもこんなこと言われないし、なんでも、なわけないし、できるのにって独自判断でしょ?それ。言われすぎている私が悪いのかしら。そもそも、「私に届け、響け」っていう人の意識がぶっ刺さることが、苦いし息苦しいし鬱陶しくなるの最近。

世の中でクズ扱いされている人の気持ちが、全くわからないって言い切れなくて苦しい。信じられない・最低と言われるような人間の考えに対して、理解度0%なら真っ向から否定するのは、それはもう反射というか、自然な流れだと思う。(行動に移すか否かとか、人間性はまた別にして。)世の中で理解度100%もなかなかないと思うけれど、私はそのクズたちの考え方や心理が、わからなくもないって思うときがある。ときがある、と述べたが、きっとほとんどがそうだ。それが本当に最悪最低で、極悪で残酷なものだとしても、どこかで1%でもわかる気がする自分がいる。そしてそれに少し焦る。人間は多面性で、誰しも狂気を隠し持っていて...なんていっても、倫理上や常識観念上の分別はあるつもりなのに、あんなに“よくないこと”に“共感”するなんて、私も最低なクズのひとりなのかしら、と。もちろん1%の最悪に対して残りの99%で社会的な正義を探して、私という人間の方針には納得させるけれど。「夢や希望に不可能はない」といえば素晴らしいことだけども、反吐が出そうな思想でも「絶対にありえない・そんな人間はいない」とは言い切れない世の中を“見てしまって”いる。私が一切認めなくても、“そういう思考”の人間は存在するし、なんだったら少し理解できてしまう部分もあったりして、自分のことを汚らわしく思ったり客観的に遺憾に思ったりしている。「悪魔にも悪魔の言い分がある。その言い分を許すわけではないが、悪魔が悪魔たる所以に耳を傾けるとき、始まりと結末の姿を見るとき、私が悪魔でない証明を如何にして実現できるか」

 

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