こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

ごめーんね~(コレガイケナイ)

本日が祝日だということをすっかり忘れていた。普段どれだけ起伏がない生活しているかわかる。曜日も世の中の休日も季節の移り変わりも、まるで意識していない生活。「忙しくて記念日も忘れる」なんて話はよくあるが、たぶん私の場合は忙しくなさ過ぎて日々の細々したことを忘れている。平坦で自由な状況は、拓けているのに対象を見失う。些細なことを拾えないまま、流れていく。

多くの人が勤労を感謝される中で、何一つ勤も労も払ってない私は今年も、普段と何一つ変わらない一日を過ごすことだろう。というか過ごした。これを書いている今は後日だった。日々頑張っている人を労う気持ちと非生産の申し訳なさ、しかし何故誰の何に対しての申し訳なさを持っているのだろうというふてぶてしさが、混ざり合って今日の思考停止時間を作っている。よく反省してないの?と言われてしまうのだけど、自分では反省したつもり。でも自分の口から出る「ごめん」をあんまり信じてないから、言われてみればそうかもしれない。“誠心誠意”とか“心を込めて”とか、それぞれのものさし次第だから、なんて言っちゃうところが、救いでもあり、私の救えない部分でもあると思う。私が直接ありがとうやごめんを言えない人たちが、一生懸命働いて、世界を作り、街を動かして、私を生かしている。(あ、言える人も含めてね。)本気に聞こえなくても、上述の理由で仕方がないけど、感謝の気持ちはあるんデスヨ。そして勝手に世話になるばかりでごめんって思ってる。?思ってるってば。

テレビなどで“とても社会貢献してる人”が紹介されているのを見ると、素直に「すごいなぁ、偉いなぁ」と感じると同時に、「まるで異世界だなぁ」と思う。“活躍”してる人は、みんな私とは別世界の人々。今や画面の向こうで頑張っている同級生などを見ると、子供の頃同じ制服を着て隣に並んでたなんて嘘みたい。間にしばらく会っていない時期があるとなおさら。私の持っている記憶と今の現実が、全く繋がりのない別のものみたいだ。世間の注目を集めてない、けれど毎日着実に社会に関わっているという人もそう、私の持たざる日常を手にしている。生きることに疑問を持たず、毎日誰かの為に頑張っていて、小さくても確かな一端を担っている。そういう生き方も美しくて、同じ壇上にいない自分の足元がとても不安になる。“あちら側”とは違うこちらの世界は、同じ空見てるのに、色が違うような。頑張っている人だけが見られる色があるとするなら、私はもうずっと色彩を失っているのかしら。

キラキラを目にするたび、どろどろした感情が蠢く。だからいつも眩しがっているのかな。(※それはただの目の症状。)どんな人にも悩み事の一つや二つあるっていうけど、それはそうで、それがわかってるから何だっていうの?って、思春期の頃からの口癖みたいなもの。全然成長してないんだな。他人の感情も実際に存在する場所も、“こちら側”とは別世界、その認識すらもう長ーらく変わらない。

 

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