こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

低空飛行でもまだ飛んでる

「持て余してる」なんて言い方をされると、私の何を知っているんだろうと思う。自分でも気付いていない何らかの力があると知っているなら、早く教えてほしい。外面の時間軸で、私の一生分を照らし合わせて、「もったいない」「余裕あるのに」と言われるのは、責任の所在を改めて自覚させるためだろうか。効率の悪さや現段階での恵みを、私は真顔で受け入れている。

感情の話をすれば、日々は喜怒哀楽のどこにも留まらない。ハッピーなサプライズが起こることもないし、テンション高く笑うこともない。小さな不快感はあちこちにあっても憤怒するほど心入れせず、身近でなければ残念なことも(残念なことに)数秒後には無関係の顔だ。通常運転で、低空飛行をかれこれずぅーっと続けている。

誰から見てもわかりやすい「誰かのためになること」を辞めてからしばらく経つ。もちろん根本的には全て自分のためなんだけども、社会活動に参加することで対価を頂いたり、自分の行動如何で感謝されたり何かに貢献していたりと、結果的に「誰かのために“も”なっていること」は、生きていく上で“必要なこと”として実施していた。が、そこから逃げて、もう長い。これでは私はこの世界で存在していることにならない?否、息はしているのだが...。

私は怠け者だけれど、怠けようと思って積極的にそうしているのではない、気が付いたら怠け者と呼ばれる状態になっているのだ。「いろんな人がいる」と細分化されたジャンルの中で、自分みたいなのは、どっちかっていうと悪性のある部類になるのではなかろうか。世界に害があると思われているものが全て、“罪”や“悪”や“酷”の札を下げているとは限らない。「皆生まれてすぐに美しい命」と云うけれど、こと自分に関してはそうは思えず、「ありのままは許されない世界」と思い込んでいるところもある。その時ばっかり自分を特別視しているの?と言われることもあるけど、そういう自己愛の種類かもね、なんて、会話を放棄したりするんだ。何も、怠け者は自分だけ、とは思ってないけどさ。「似たような人いるよ」「みんなおんなじだよ」という言葉に、喜んだりしない自分だって知っているから。私は自分のことだけ考えているよ。

私は日がな一日、川の流れや空の色の移り変わりを眺めていても、全く厭きないと思う。それを「暇じゃない?」「つまんない」という人達に囲まれて日々過ごしている。生産性を求められる世の中で、「息をしているだけでいい」なんて、“私に”言える人なんていないだろう。(他の方は知らん。)だけど、それ以外の言葉でどんなに心に介入しようとしても、私がはっと目覚める日が来ない。ずっと眠り続けているみたいだ。

 

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