こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

ウラヤマ

あまりに救いようがないと思う自分のこと。あまりに平凡すぎて。もしくは平凡よりも何もなさ過ぎて。人並みのやる気や人並みの意識があればいいと願うでしょう?けれども自分が一番どうしようもないと思ってる。もちろんそれを他人にこそどうすることもできないとわかっていて。

また言われる「どうにかしなさい」にもう口答えする気もなくしてる。どうにか、って何。どうにかならもうなってる。どうにもならない方向へ、どうかしてる。私は何もしなくたってここにいるし、今の所いられるけれど、光る砂粒にも、混乱させる異分子にもなれない。「朽ちるにはまだ早い」と言われたけど、いつだったらいいんだろう。その前に咲くかもわからないのに。

人を羨むことは悪ではないにしろ、恥ずべき事だとしてなるべく表に出さないようになっている。子供の頃から、そういう気持ちが無いわけではなかろうに、ふと芽生えた気持ちに蓋をして、口には出さすにやってきた。代わりに褒め言葉を並べてやり過ごす。それもまた本心だから。比較を無視することで、純粋な尊敬や称賛だと思えた。大人になってそういう気持ちはもう寂れたかというと、それは嘘だ。私は成長とともに蓋をすることにも慣れたし、“人は人、自分は自分”だと都合よく割り切ることも知った。けれども同時に卑屈も増して、以前より蓋しなければいけない対象も増えた気がする。“そういうずるさや恥も、人間らしくてピュア”だと言われたり、“人を羨んで捻くれて、黒い感情に飲まれて全然ピュアじゃない”と言われたり。

いっそのこと、素直にぶちまけた方がいいように思った。恥ずべき事と言いながら、実際頭の中で浮かんでいる以上、それが真実じゃないかと思う。それに、今更恥も何もないかしら。だって誰に遠慮しているのか、何に気を遣ってるのか、改めて考えるとよくわからない。自分には“ない”から、“ある”人を羨むのは当たり前か。自分にはできないことをできるの、羨ましいなって、うん、思ってるんだよ。何もかもを欲しがってるわけじゃない。しかし、私が自ら関りたいと思ったものに、何より私が及ばないと、深く関わっている人を心底羨ましいと思う。

歌が上手くていいな。絵が上手くていいな。料理が要領よくできていいな。運動神経が優れてていいな。頭が良くていいな。外国語が話せていいな。センスがあっていいな。いつもオシャレでいいな。気を抜いてても可愛くていいな。ひとつのことを極めてていいな。絶対音感があって楽器が操れていいな。閃きがあっていいな。清潔感があっていいな。努力ができていいな。大胆で決断力があっていいな。人の役に立ちたいって素直に思えていいな。愛してくれる人を愛せていいな。自立(自律)してていいな。生命力が溢れてていいな。勇気があっていいな。許されてていいな。やる気があっていいな。

キリがないな。どうか、どうか笑ってほしい。いいないいなとウジウジ呟くだけで、ちっとも動きだそうとしない。そういう種類のワガママだ。みっともなくて、本心だ。「特出したものがある人には、絶望的な欠点があるのかもしれない。」「何かに秀でてる人は一握りでその他大勢はだいたい似たり寄ったりなんだよ。」「できないことがあったって、誰かの特別だったらいいじゃない。」そんなことはわかってるんだよ、今更なんなんだって。慰めも諫めもここに触れた時点で同じってこと。ホント、救いようがない。

 

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