こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(更新停滞中。)

これってそれって何

私は自分の好意にまで自信がない。全てがきちんと証明されるとは思わないけど、何かの条件と引き換えに、「本当にそうなの?」と自問することが多い。憧れの人が居ても、素敵なその人の真似をしてその姿に近づこうとする努力はあんまりしない。最初から諦めてる。「その人はそんなすぐに諦めたりしないよ!」と言われると、ますます、「だから。その人と私は違うんだから。その人にはなれないんだから。」と線引きを早めてしまう。また、恋人と不穏になると、ヤキモチやいたり、心配性が爆発したり、昔はしてたけど、今はほとんどスンとしてる。それなりの相手で安心しきっている、というより、なんだかどうでもよくなる。なるようにしかならんというか、仲良しでもモメても、そういう自然の流れなんだなって。相手がもし何かミスを犯しても、一瞬怒るかもしれないけど、それで今後をどうこうしようと考えないかもしれない。自分の方がミスして、相手がものすごく怒ったとしても、それのフォローを頑張る自分が全く想像できない。しれ~っとしてそう。

そうやって、どこかの目的に向かって能動的に行動するってことがない私の場合、前提のように言っている「好き」が、果たして本当なのか、と自分でも疑問に思っている。好意や求める気持ちを、エネルギーに変換できない。できないのかやらないのかも定かではない。“誰々のために”というのが元々欠落しているからか、または感情があまりにもはっきりと区別されているのか―「好き、だから頑張る」みたいなのは成り立たないと思っているのか。とはいえ“何とも言えぬ”という感情もあると思っているので、曖昧に濁せるのならば、私のいう“気持ち”はむしろそういうものばかりで、社会でのわかりやすさのために“好き”とか“憧れ”とか“気に入ってる”とかの言葉を遣わせてもらってるだけで、その実すべてが“~みたいな何か”という、名前の付けられぬ感情なのかもしれない。

「好きの種類がみんな一緒なわけないでしょ」って、少し話したらみんなわかっている風だけれど、そういうものだと納得したり、他と比べようのないそれに自信を持ったり、それによってポジティブに動けるということが、私にはわからない。「自分が好きだと思ったらそれでいいんだよ」と言われたけど、その通りと思うんだけど、ここにある“これ”を“好き”だと言い張れる自信がないし、自信をつけてくれる要素もないから、今こうなってる。“とりあえず”を許して、「嫌いじゃない」とか「他と比べて選び取りたい」とか、言い方を変えてみるけど、なんだかしっくりこない。そう、“好き”も“好意”も、なんかしっくりこないというのが、しっくりくるかも。語彙力少な...。

 

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