こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(更新停滞中。)

早よ早よっていいなさんな

瞬発力がない。それは身体的にも、思考でも、致命的なくらいだ。「どんくさいな」とか「そういうとこ反応鈍いよね」と言われて傷つくのは、自覚していてなお、じゃない、自分がどんくさいのはわかっているけど、その際に“どんくさくない必要があるのかどうか”納得いっていない時だ。昔から、速ければいい、早いほうがいい、そういう空気についていけない。何かを掴んでから、放ってと叫ばれるまで、延々と離さないのは少し関係している?

時間が足りないと感じることと、退屈と思ったことがないというのは繋がっている。忙しくてしょうがないなんてことは勿論、当然、ないんだけれど、気が付くと“だいぶ経っている”。ほんと、どうでもいいことをずっと考えて一日が終わる。他の人はそうなりそうな場合も、仕事とか用事とかで気を紛らわせているのだろう。それがずるいとも思わないし、むしろ健全だ。不健全なのは私の方。結果何も閃かず、何も生み出さず、何も進まず、何も終わらせない。実際にやること沢山でてんてこ舞いな人から嫌味を言われても、なんにも引っかからないんだけど、自分と似たような行動をしていて暇で暇でしょうがないよ~なんて笑ってる人とは、苦笑いだけ残して友達になれないことはわかっている。

忙しなく動く人に、憧れはしないけど興味はある。どう考えているのか、自分だったらどんなだったか、たらればは無意味だけど、考える。「まず動いてみよ」と言われて即座に出来るなら、もうそれって私と異なる人間だよね。できなくて、どんくさいまま形作られたのが、今の私だから。どんなに鈍くてもそれなりに年を取りながら生き続ける、という道があったから、ここまで来たわけだし。

「できるかぎり早めに解決して」「早く元気になるといいね」善意にケチつけてるわけではない。“アドバイス”だと理解もしている。そりゃあ苦しみを味わい続けたいわけではないけれど...。早く切り上げるように動くことで、“些細”なことを無視してでも完了に至ることが、良いかどうかなんて、判断つくわけない。もしわかるとしても随分先だ。それは問題を長引かせても同じだけれど、自分から・心から、まだYesと言ってないうちに済ませるようで、不安なんだ。私が悩み続けている・塞ぎ込んでいる姿は大層醜くて可哀想なんだろう。だから早く笑顔になってくれと願う。優しさだよね。でもその“もっとも早く”を願う理由や判断が、私にとっての“最善”なのか、わからない。相手はそんなこと考えていなくて、純粋な好意・もしくは社交辞令なのだろう。それでも、表情が“変わらない”自分は、傷つかずにはいられない。

一体何をそんなに考えているの?何にこだわっているの?そんなに悩むことなの?「何をそんなに書くことがあるの?」って自分でも思うから、訊いてくる感覚はわかるよ。そして取るに足らないくだらないことだよ、自分以外にはね。もしかしたら自分にもそう、かもしれないけれど。また一日、脳内を同じ色のまま終わらせただけだよ。バタフライエフェクトはきっとこの世に存在しているけど、実感することはまだないな。

 

瞬発力 どんくさい 退屈じゃないAmazonで検索

内容は特にリンクしてないけど私の好きだった映画。『バタフライ・エフェクト