こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

オモイダセナイ

回顧するのは時間が有り余っているせいだと思うが、実ははっきり思い出せないことがほとんどだったりする。忘れたいことほど忘れられないというが、ラッキーなことに忘れたくて忘れてしまったこともあるのかもしれない。反芻したことは覚えている、はず。とても少ないけれども。田舎育ちで人数も少なかったはずなのに、小学生の頃の同級生のこと、顔か名前、どっちかは確実に思い出せない。両方思い出せない人もいて、なんとなく存在の気配だけ覚えている、たぶん人数合わせ的に。確実にアウェイ感を感じるから、同窓会には極力行きたくない。

学習の様子も、イベントも、ほぼほぼ思い出せない。何かきっかけがあれば蘇るのかもしれないけど、それを得るような場面が現状無いし。だからどうやって大人になったんだろうと思う。子供時代が無い人なんていないのに。私はどういう過程を経て、現在地にやってきたのだろうか。

不登校気味になりだしてからは、他者と築く社会より、自分の内側の世界が大部分を占めていたから、自分と、その内側に入ることを許した一部の人間に対してしか印象がない。あの頃の私の頭の中はこんなんだったなぁとは思い出すけれど、クラスでどういうことが話題になってたとか、どんな係があったとか、全く思い出せない。頭の中はハチャメチャでも“真面目そうな人ランキング”の常連で、学級委員までしていたのだから、おかしな話である。(毎度出席日数が足りなくなりそうな学級委員とは。)(先生に迷惑かけたなぁ。)

私は学生時代に、先輩後輩という“役割”がほぼ未経験で、今でも序列に結構な苦手意識がある。体育会系の対角といえるかもしれない。尊敬する気持ち、尊重する気持ちはあるのだが、立ち居振る舞いの如何が正解なのかがわからない。実際、先輩後輩に接するよりも先生や指導者に接する時間の方が多かったし、そっちの方がむしろリラックスしていた。一時お世話になった先輩の名前も今や思い出せない。(顔は...おぼろげに...。)「センパーイ!」と私を呼んで懐いてくれる後輩も一瞬いたけど、後輩だと思って接したことはない。同級生と変わらない気分だった。そして印象は消えかけている。今までで出会った人達のうち今も印象に残っている、というのは、もはや芸能人とかを覚えている感覚に似ている。自分との間に何か関係のあった人(トラブルでもハッピーな出来事でも)は記憶に残ってることが多いけど、そういうのなく存在を覚えている人は、私の中で何かが引っかかって、何らかのエピソードを持つ有名人とかと同じ印象なんだろう。

明確に「これは覚えてる!」って言える記憶がなくて、案の定授業で習ったことも、楽しかったはずの課外授業の内容も、忘れながら大人になったんだけど、でも完全なる記憶喪失じゃないから、何かきっかけがあれば思い出せたりするんだろう。今のゆるい生活じゃ、無理矢理自らきっかけを作らないと、覚醒はしないだろうけど。他人と比べるものじゃないのはわかっているけど、あまりにも自分の過去を覚えてなさ過ぎて、驚愕したんだよね。でも覚えてたことの多くを忘れてるっていうより、最初から覚えてなかったのかもしれない。覚える気がない、そういう子供だったのかもしれない。それならば、失ったものは、もしかして少ないのかな。

 

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