スイッチング
「なんとかなる」と口に出したいのはやまやまだが、「なるわけないじゃん」とツッコミの方が先に飛び出す。否定はいつも食い気味だ。今までの“なんとかなってきた”代償が今とこれから、なのだとしたら、どうしようもない自分を持て余す予感しか持てない。ラッキーは既に使い切ってしまったよ、これからは悩むことしかないよ、となったら、果たして私はやる気を取り戻すことができるのだろうか。(反語)
不定期なサイクルで、他人の事情ばかり気になって追いかけてしまう時期と、他人のことなんてどうでもいいわと思う時期とがやってくる。交代は突然訪れるが、何がきっかけなのかはわからない。自分のことは置いといて他者に注目している間はとてもしんどい。実録コミックエッセイとか、非ファンタジーな漫画とか、瞬間的にのめり込んでしまう。私には無関係の他人の話なのに(もしくは、リアリティはあっても創作の世界なのに)、投影してモヤモヤしてしまう。ハラスメント被害に共感して共闘する気になるのはまだいい、自身が経験したことのない苦痛に同調しすぎて現実で人間不信みたいになるの、どうにかしたい。あと、その時期は実際の人間関係も面倒になる。今度は逆に、みんながすごく輝いて見えて辛いのだ。もちろん、明るく見える友達だって、内側に秘めてるものがあるのだろうことはわかっている。けれども、まるで物語のように、もしくは当たり前のように、素晴らしい人生を送っているように見えて、こっちは勝手に卑屈になってしまうのだ。周りや他人がどうにかしたんじゃない、自分自身の心の動きなのだと、ちゃんとわかってはいる。人に指摘もされる。しかし思わず振り回されてしまうのは、どうしようもない。努力して意識して、見ないようにしなければと思う。そして散々追いかけては勝手に疲弊しておいて、ふとどうでもよくなる時が来る。他人の人生なんて、現在の様子なんてどうでもいいやー、てか、自分のことさえもう考えなーい...みたいな時期が急に巡ってくる。そうすると興味のシャッターがいきなり下りて、今までつまみ食いしてた不穏に、一切取りつかなくなる。他人の不幸も、なんだったら幸せそうな姿さえも、「あっ 私の人生に全然関係ないんだった」って気づいて、ひとり納得している。他人のことを気にしなくなって自分のことに集中できて、良いかというと、そうでもないのかもしれない。自分だけに向き合って、逃げ場がなくて、“どうしようもない”感に、日々呆れ続けるからだ。悪気なく自己中心になっても、自分は世界の中心では決してないのだから、他人に興味を失うと同時に、自分への興味も失いつつある。
何かを、誰かを参考に、“うまく”生きられればいいのだろうけど、そんなに“うまいこと”いかないらしい。何人もいる自分をパチパチ切り替えられるといいのだけど、本体はいつまでも脆弱で、それを“なんとかしよう”とする自分がまだひとりもいない。成長の過程ではない記録だけれど、「なんとかなった」と振り返る日が来るのだろうか。