こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

お喋りちゃん

喋りすぎる自分が嫌いだ。喋りすぎる、というのは自分で判断したものだけど。子どもの頃からよく喋る。その日あったことをとめどなく話し続けても、母は笑って聴いていた。実際は五分五分でしか聞いていないから、余裕そうにいられたのだ。発声欲みたいなものがいつもあったので、授業の発表や歌の時間は全く苦ではなかった。内弁慶なところがあるため少しは緊張するが、どこかで「失敗したらしゃーない」的な諦めみたいな気持ちが常にあった。成功したのかもしれないし、失敗もあったのかもしれない。今までをあんまり思い出せないけれど、きっとなんとかなってここにいる。それは私に“なんとかする”能力があるわけではなく、私の発声(発言)自体はさほど重要ではないからだ。私の喜楽も達成も、大きな流れの中では“些細”なことだ。

大人になって“お喋りちゃん”の評価は変わった。昔はよく喋る明るい子とか誰でも親しみを持てる優しい子とか初対面でも物怖じしない子って、一応褒め言葉だった。それがだんだんと、よく喋るうるさい子とか誰とでも話せる八方美人の子とか難しいことばかり言ってくる感じの悪い子って感じで、えっと褒め言葉ではないよね?私は変わってないつもりだけど、社会って変わってるんだね、だから仕方がないね、と思った。他人に何言われても構わないっちゃそうなんだけど、身内でも言われるからね。声が頭に響くとかもっとゆっくり落ち着いて話しなさいとか矢継ぎ早に言われると内容がわからないとか。ごもっともなんだけどさ。治らないことを、何度も何度も治せと言われるのは、言う方もうんざりだろうけど、私だってうんざりだよ。治らない、正せない自分にうんざりだ。それが正解か、正義か、よくわかんないんだけど、一度嫌だと思った自分をもう一回好きになれるのだろうか。治すでも治さぬでもいいけど、これでいい・これがいいって思えるときは来るのかしらね。

普段のテンションはわりと低い方だと思う。単に常に回し続ける体力がないから。それでもテンションが上がってる時、周りが引くぐらい喋ってしまう。無言か全開か。中間とかほどほどが無いってよく言われる。自身が盛り上がっている時はスピード狂かってくらいに、今この速度を落としてはダメだ、落とすと中身を忘れてしまう、と感じて話し続ける。別に相手が内容を覚えなくていい。この際あいづちもいらない。必要なのは“聴いている姿勢”“私が話した・あなたが聴いたという事実”、それだけだ。

好きにするし、それしかできないのだから、変わらぬスタイルでいるけど、やっぱり改善はしたいとちょっとは思っている。何せ喋っている自分が、自分のトークに疲れてしまっているのだから。肉体的にも、精神的にも。今となっては声のトーンを迷惑がってる母の顔を繰り返し見たくないし。わからないと言われた内容も、ゆっくり話せば伝わるのかもしれない、と思ったり。(まぁどっちにしろ伝わらないままかもしれないが。)

喋りすぎるありのままの自分を好きになる、なんてのはどうやら無理っぽいと思えた。だったら変えるしかないし変わるしかない。マシンガントークは文章でも鬱陶しいのに、リアルじゃもっとしんどいでしょうね。ターゲットにお詫びを。そしてボリューム(音量も内容も)のコンパクト化を推奨されておきます。

 

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