こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

ハナセナイアル

大事なもの、必要なものだけ残す、という考えは、最初の勢いはいいけれどだんだんと苦しくなってくる。何もかも必要なんてことは本当はなくて、足るを知る、まずは自覚する、と思って始めてみるが、結局のところ必要なものなんて何一つないんじゃないか、私は何も大事と思っていないんじゃないか、と手が止まる。全てが要らない気がしてくる。一気に消滅させたい気持ちに駆られる。時々片付けに厭きて、「全部燃やしたくなっちゃうね」と言っちゃう理由はこれだ。実際はしないけど。それくらい、瞬間フッと、一掃を願う。

これは自己暗示だなぁと思う。シンプルに生きたいのとか思い出とかあんまりいらないのとか、「本当は...」と格好つけたがる自分に、じゃあやれよ、思うままにそうしろよとツっこむ。考えてみれば、ひとつひとつに思い入れも感じられない、ただなんとなくそこにあると安心というものばかりに囲まれている。もちろん、“そこにあるだけで”という想いにも価値はあるけど、大切にされてなければその意味さえ霞む。ごちゃついてる生活を、別に好きだとか気に入っているとかではないのだ。

費やした時間やお金や手間が、もったいないと思い続けているのだろう。そんなに執着のない素振りでいるが、手の中にあったものが失われていくのが怖いのだ。気持ちを注いだ時間、本当にそれはそのタイミングでなければダメだったのか、かけたお金や手間は同程度の価値として戻ってこない、モノが変わったのではなく自分だ変わったのだ、残されたのは費やしたことへの証明で、それさえも棄てたら、私は一体何をしてきたのか、本来はあるはずのないショートカットを自ら選んだつもりはないのに、無駄でも憂鬱でも〇ソでも手放さないで“もったいない”と思い込んでいる。

一度、“一掃される”気持ちで、見渡したほうがいいのかもしれない。通常ではゆっくり削られていくものも、突如全てが消え失せることもあるし、本人が先にいってしまって如何様にもできず取り残されていくこともある。私自身が、存えるつもりがないのなら、早く取り掛かるべきなんだよね。本当に手元に残したいものは何なのか。私には「死んでも離さない」という感情はあるのか。

必要性だけで選んでも、感情だけで選んでも、たぶん私の気は晴れないだろう。ならいっそのこと、矛盾も“ちゃんと”許せる自分になる。考えすぎて、極論が癖で、要るか要らないか、自分を急かしがちだけれど。手放したくない気持ちと離れたがる意識が戦い、残り時間を問う。結局私自身は今生にひとり、そうやって現実に帰る訓練にもなるだろう。

 

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