こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

つもりつもりも積もってく

あまりに読書好きだと物書きやるのは大変だという話を聞いた。読みたい欲と書きたい欲のバランスが難しい。また、読むために書く、書くために読むという相互関係を全く無しにはできないので、ただただ時間が足りないのだと。入力があってこそ出力に最大のパフォーマンスで挑める人がいれば、入力はほとんどしないけど、してもしても間に合わないほど出力が止まらない人もいる。それは人それぞれだ。好きと得手は必ずしも一致しないし、表裏にはなれなくても無関係というわけでもない。

意図してなかったが、私のこれは悩んでる“つもり”なのかもしれない。それで時間を潰しているのかも。そうでなければ、この反復運動みたいな行為にも、何かしらの意味を求めてしまいそう。私はもしかしたら、苦しんだ見返りというか、いつかは意味も出てくるだろうと無意識に考え、思い悩むことに身を委ねているが、本当はそのポーズをしているだけ・ただの暇つぶしなのかもしれない。吸収もほとんどせず、偏って在る何かをぐるぐると頭でっかちに巡らせるだけで、あとはただ堪らなくなって吐き出すことに終始している。入力は好きだが満足いくほどできているわけでもなく、バランスの悪いまま、とりあえず放置して元が壊れてもしかたがないから、思いつくまま、意味のないまま、出力だけして垂れ流してる。真剣に悩めば自ずと“結果”がもたらされるというのは思い込みで、「う~ん」ということにただ時間を費やし、蠢く煩い気持ちたちを適当に排出して、それで少し楽になった気がしているのかも。

知らない言葉や遣い方を覚えるために、他者の声や制作物や生き方に、触れる必要があると思っている。新しい色や手触りを知るため、そして自分のものにするために、自分以外の目を通した世界や想像に、まずは気付かなければならない。だから入力をしなければと思うけど、なかなか思い通りにはいかないの。今の“どうしようもなくなってからこぼれる”スタイルをまずは変えなければ、私みたいな人だって、一日24時間じゃきっと足りない。

趣味と実益を兼ねた仕事、のように、入力と出力を兼ねた行動、ができれば望ましい。外のものを吸収しなければ、脳内は使い古した思考ばかりが回ってるし、少しずつでも排出しなければ、凝り固まって膨れ上がった思考の渦でパンパンになる。うまいことやれてる人も、逃げ道を見つけてすり抜けながらやってる人も、バランス感覚大事だなと思う。私は全てが富んだ賢者には、どう転んでもなれない。傍から見れば大層余裕ありげで、それを使いこなせないでいる。ストレス社会に揉まれながら逞しく生きてるサラリーマンの足元にも及ばない貧弱さ。こんなんで“バランスのとれる日”はやってくるのかしら。「○○やりた~い」も嘘ではないし、それと反した「□□しなければ~」という思いも純粋な衝動だ。

 

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