こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

壁と掌

核心に近いことほど、誰にも言えない。私の中の、または頭の奥の世界は、存在を認めるだけでは触れられない場所。誰に対しても1枚壁があって、その形状はいろいろだ。薄かったり分厚かったり、透過率60%だったりして、置かれる状況はそれぞれだけども、隔たりがあることは間違いない。それが悪いことだと自分を責めてるわけではないんだ。適切な距離感が作られることも事実だし、皆はともかく私には必要なことなんだと思う。しかし壁を感じない人間が一切いないというのは、なんだか少し寂しい気もする。一番薄い壁でも、世間で見れば強固な部類かもしれなくて、近いようで遠い というか、私と、真の意味で手を繋げた人はいないんだなと思うと、文字通りの孤独感はある。

悲劇のヒロインぶっているように見える?私だっていい加減、人を暗澹とした気持ちにさせる自分語りばかりするのをやめたい。不幸自慢するほどのエピソードも持ち合わせていないし、人の暇つぶしにもならないほど適切適量を守れない。何かの改善や回復を見込んで始めたことではなく、淀んでいる現状をただ実況しているにすぎない。もうそろそろ変わり映えを...と思うけれど、脳内がなかなか様変わりしないので出てくるものも似たり寄ったりの色合いだ。はっきりいって、うまくないのだがどうしようもない。

私が甘やかされているのは、特別だからではない、ただ見逃されているだけだ。大事にされすぎているのではなく、ちっぽけで些細だから重要視されていないだけ。そこでどんなに自己主張をしようとも、急に全てが満たされるわけがなかった。愛されているとしたら、飛び抜けて大切だからではなく、当たり前のようにそこにあったから。自然の一部のような儚さで、どこにでもあるような気軽さで。だからね。恵まれているとしてもそれをどうこうしようという思考に至らないんだ。それを利用しようとか感謝しようとか他人に譲ろうとかそこから逃げ出そうとか。私ごときの右往左往で、周りが受ける影響は少ない。ましてや他人や世間なら全く関係ないはずだ。私をいい子いい子できるほど、世界はそんなに暇じゃない。

他人に興味がなさすぎて、ナルシストと言われてもしょうがない。と同時に、自分語りばかりしているわりには自分を大切にしていないと指摘されすぎて笑えてくる。他人に好奇心を乗っけられなくても、人間という生き物には興味がある。他者がいて、自認のコントラストが深まると思っているし、他人の創作物に囲まれて生きてきている。自分に触れさせないという態度で存在をひらひらさせているのに、他人の掌の行く先は気になって見つめてしまっている。相変わらず勝手だね。

 

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