こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

メン・ドー

本音言うと、何もかも面倒くさいな。記念日とかイベントとか、“素敵”だと思うけど“やりたいこと”とイコールじゃない。可愛くなくてごめんなさいね。当然のように語られる人間関係の構築の仕方、私もその通りだと思っていても、実行できるかはまた別の話。思うままじゃぁとにかく孤独を極めてしまう。だから、多少なりとも努力した方がいいよ、我慢してでもやったほうが後々ためになるよと言われる。うんうんうんと頷いているけど、それらは自問自答でも既に出てきた言葉たちで、「だから、ね?」と言われたところで、「はい!」と行動できるわけでもない。

結局自分の欲望に従って、呆れられても、それが“結果”だから諦めてしまう。「Ifを想像しましょうよ」と言われるけど、どの方向にだってIfはあるんですけど...と根拠はないくせに急に自己主張する自分にさらに呆れかえる。「そんなに“大切にできない”のなら、“本当はちっとも大切じゃない”んじゃない?」と訊かれて、それはそうかもな、うんうんそうかもしれないね、もう君が決めてよ本当に面倒くさいんだからさ、と全世界に向けてはぐらかす。何様のつもりだよってね。

私が苦しむのは自分の思い込み次第だから全然いいんだけど、相手を苦しめることがあるなら全然その関係要らないって思うの。友達も恋人も、私多少依存っ気があるからさ。何かしらのネガティブが発生すると思うんだよね。私と繋がることで不快になることがあるなら、それは関係があるからこそ起こりうる感情だから、それじゃあ関係ごと消去でいいよって思ってる。一応適切な距離は常に探っているけど、私が“適切”難しいからね、上手くできないときはそりゃあもう“END”しかないよなぁっていう。それに、正直自分も進んで苦しみたくはないからさ。“楽しみ”や“遊び”でさえもストレスに感じる人間が、進んでそういう関係を作るわけない。感情に引っ張られて生まれたものに、身体がついていかないことはあるあるなのだ。「嬉しい。楽しい。またしたい。―でも疲れた。つらい。もうしたくない。」その浮き沈みさえ、もう、とにかく面倒くさいが先行。

たぶん私は“思った通り”怠惰に出来なくて苦しいんだ。誰が見てもそう、である必要はないが、私定義の“正しいそれ”でなくては。“結局”思うままにやる、と言っても、その“結”に辿り着くまでが長い。それまではやっぱり、何でもいつでも思うまま、とはいかないのだ。私は自由であるはずなのに、思いのほか不自由を選ぶし、ナマケモノであるはずなのに、あざとく神経を巡らせている。全てはどうでもいいと言っているのに孤独を怖がるし、優しくなりたいのに提示されたわかりやすい方法を取らない。面倒くさいのに簡単には放棄できない。それは寂しくて?退屈になりたくなくて?それでも耐久性は上がらない。

 

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