裏面さえリピート
なんていうの、ここはただの駄文なわけだけど、筆が滑るっていうかさ、言わなくてもいいこと、書かなくてもいいことまで書いてそうで、するすると文字数が稼げる・調子が良い!なんて思ってると、ほんと調子乗ってるわこいつって感じで、基本的にはあんまり着々と積み重ねてはいない。何度同じ単語が出てきたことか、何度似たような内容の似たような構成の一篇を繰り返してきたことか。だけども同じ日は二度と来ないとして、いつも“唯一”の“最新”だと気取っていたら、いつの間にか馴れて気にならなくなるのかもしれない。
もっと若くしてコレを悩みたかったなぁと思うこともある。しかし当時の私にはそれ相応の考え事があって、今思いつくコレやソレを悩むための隙間など、頭ん中的にも時間的にもなかったのかもしれない。閃きや意欲に遅すぎることはない、それはそうなんだろうけど、一方で、今ではないなぁとかこの先にも来ないなぁとか一度思っちゃうと、「ああ過去において、か」とタラレバで思考停止に流れる。「あの時に、コレを思いついてたらよかったな。あの頃にアレを知っていて欲しかったな自分。」とかね。確かに、“過去には戻れないのだから、人生で一番若い時は今”なんだけど、過去と現在そして未来において、全く同じ選択肢は眼前に現れない。選びたかった未来を恋しがっても、存在しなかった過去の選択を惜しく思っても、無意味だってわかっちゃいるけど、時々トリップしてしまう。
昔、上手くやれなかったこと、今だったら上手にやれるだろうか。否。特に対人関係においては、私が今の記憶をもったままもう一度やり直せたとしても、相手が同一人物なら、ほとんど何も変わらないだろう。下手うったことは、多少ズレてもまた失敗になると思う。このように自答するほど、私はなんとか諦めようとしてるんだろう。そうして早く解放されたい。成せなかった事実や在り得ない回顧から、早く。
人間を嫌いなわけではない。でも苦手だとは思う。ざっくり言うと。人と接する仕事ばかりしてきたけれど、相手を“そういう生き物”、自分を“こういう生き物”として考えていて、同じ人間だと意識すると嬉しさ半分嫌悪半分、なんだか難しく考えちゃって、自分を“そういう風”にさせる存在=人間 ってなんか苦手やなぁって思うようになった。とりわけ親しくなるほど“難しい”と考えてしまうところがあって、友達、恋人、知り合いとか、全くの他人よりもどう接したらいいのかわからなくなる。
瞬間的な感情は、本能のように抱けても、それが真意なのか自然なのか恒久的なのか、自分でもわからない。可愛いな、の感想の裏に僻みはないのか、苦手意識の裏に魅了は存在しないのか。それだけ、他はない、と言い切れたら潔いけどどこか嘘っぽい。私は対象(相手)由来の感情も、自分に向けて噛み砕こうと試みる。癖みたいなもので、周りから見れば孤独になろうなろうとしているようで、結論が出る頃には誰もいなくなっているような気はしている。