part of ONE
前にも書いたが、私は知識人ではないし、専門家でもない。文章力も高くないし、閃きがあるわけでもない。そういう私がつらつら浮かんだことを並べているだけなのだから、殴り書きと言っても相違ないと思う。これまでもこれからも、思ったこと言うだけの生産性のないブログ。
いろいろと声を挙げられ始めたマイノリティについて、ただ「そうかー」と思う。“当事者”の中には、マジョリティの札を下げた人が土足でマイノリティの領域に踏み込んでくることを警戒している人もいるらしい。なるほど。「私は理解がある」としながら善意でアウティングされるのたまったもんじゃないしな。「ストレートがLやGのフリをするな!」と胸糞悪くなることもあるらしく、例えば表現の業界においてはなかなか難しいことだなと思う。マジョリティがマイノリティを排除しようとするように、マイノリティの枠にマジョリティの欠片も入れたくないと思う。自分たちと比べて“異質”を取り除きたい、領域を犯されたくないという、同じ人間だからこその心理なんだろう。
私はLGBTQ+に関する事柄に興味があるし、啓発には賛同するけれど、決して“当事者”と呼ばれる人達を特別扱いしたいわけでも、“何もわからない・知らない人”を諌めたいわけでもない。特定の人にラッキーを祈るんじゃなくて、みんなが生きやすい世の中を望む。みんなの中に、マジョリティもマイノリティも全て入っているの。区別はある程度必要だし、差はなくならないかもしれない、同じや似たようなを探し続けることはできるけど、突き詰めれば全部違う、その違いもなくなることはない。そのままでいいんだって、存在することに遠慮がなくなったらいいなと思う。
生き方や思考や肉体が違って当たり前じゃない。同じものはふたつとない存在。だから自由を保証されていてほしい。どんなに数が少なくても、どんなに突拍子がなく思えても、在るものは在る。そして互いに認めていたい。
こんな私が「女の子かわいい女の子好きだ」と言ったら、一部のLの方に怒られるのかしら。異性としか恋愛したことなくても、同性を愛でたってよくない?(注※喧嘩売ってません。)先にいろいろ昔話を書いたけれど、自分をBだと言ってるわけではないの。そのまんまの意味なんだよ。ノンバイナリーとかアセクシャルとか、新しい言葉を知っていくけど、自分がそれだ!と言い切るつもりもないの。相変わらず、よくわかんない、それだけ。というか、やっぱりそうやってカテゴライズされること自体あんまり好きじゃない。自分が世界に対していろいろカテゴライズして考えるわりには、自分が何かのカテゴリーに当てはめられるのは苦手なの。わがままだね、ごめん。
これはただの勘違いなんだけど、「あなたはこういうタイプですね」とか「グループわけした中のひとつに属している」とか言われると、“私”自身を無視されているような気になるの、時々。“単なる”分類だってわかっているのに。占いが好きで、血液型とか星暦とか統計学とか、当たると楽しいんだけど、ふと「このグループに属する人はみんな同じなんか...没個性...」って思ったりする。「あなただけの結果です」って言われたら、途端に信じちゃうと思うんだけどね。