こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

stay-at-home

ステイホームに痺れを切らす声も多く聞くけれども、私はちっとも苦痛じゃない。むしろ外に出なければならない事態が億劫すぎる。どうしてもな事情がない限りは、ずっとホームやっほーいな人なのだ。もちろん、外出しなくて(強制的に出られなくて)失うものはある。それらと引き換えに得られているものに、私はひとまずの価値を見出している。

広い世界を見るために、旅に出るのはよいことだ。それをリモートが“代わる”なんて思わない。リアルにもデジタルな仮想にもメリットデメリットがあるはずだ。手法や状況が変わっても、比べて良い悪いと言えるものは少なくて、それぞれに意義があると思う。とはいえ今は(といいながらずっとかもしれないが)、外に出る労力を惜しんで怠惰に身を任せている。ちょっとしたおでかけやリアルな“体験”をしたいと思うこともちらっとはあるけれど、そこまで強烈な欲求でもない。刺激が欲しいと外に飛び出す気持ちもわからなくはないけど、家が退屈だとは今まで思ったこともない。

私という人間を少しずつ腐らせている、と思われても仕方がないくらい、家から出ない。人と会わなくなって、話さなくなって、動かなくなって、刺激や触発がないから切磋琢磨もしなくって、肉体的に衰え、心はより内向的に、どんどん社会と離れていく。そこまでいえば“よくないこと”なんだろうなぁとは思うけれども、自分自身は、多少怖さもあるが、心穏やかでいられる。少なくとも、今すぐ外に出なければ、という切迫した必要性は感じられない。現実的に、感じるべきだとしても。

イムリミットだと言われたり、この先の長い時間を意識させられたり、一体どういう基準で今を認識すればいいのだろう。同年代の人の生き方を引き合いに出されたり、「あなたはあなたのペースでいい」と言われたり。今はそれでいいと言っていた人が、今をいつまで続ける気?と言ってきたり。焦燥感、危機感、ゆとり、抵抗感、楽天的、どれもあるようで、どれもないような。

どこかで私は失いかけている社会との繋がりを取り戻さなきゃいけないらしくて、でもそれは今のこのおうち時間にはないらしい。それでも私はここを動かない。それはただでさえやきもきしている家族や周りの人を、さらに不安にさせるみたいだけれど。もう少し、外からの刺激や他者の生活に、興味を持ってほしいみたいね。ふと思い立てばいいのだけれど、でもやっぱり家が好き。うちが楽。単純に、怠惰。

私がもし、屋外や外出が通常 の人間だったら、好きなものも性格も全然違っていただろうなぁ。外自体が嫌なんじゃない。自然とかライブとか好きだし。外に出るその過程とか、それに付随する事々が苦手なんだ。面倒くさいし、疲れちゃうって思う。実際どうかではなく、私の気持ちの問題。その面倒な過程が楽しい、おうちなんて退屈!って言えたら、また違った人生になるんだろうな。

 

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