こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

俺俺他人事

やりたいことは口に出さないけれど、やめたいことは思いつく。遅寝遅起き、パンやお米や肉、長時間のスマホ、運動習慣のない生活、早合点と早口、おしゃれをすぐ諦めること、テレビに独り言、明らかに信用していませんな態度、リセット癖、己の都合のみの言い訳、不毛なことを考え続けること、などなど。どれも、続けたら破滅するというわけでもなく、ひとつでもやめられたら人生変わるというわけでもない。そんな劇薬はこんなところには落ちていない。

ともかく意志が弱いのだ。そうしようと強く思わなくちゃ、とアドバイスされても、まず強く思う練習から。工夫を凝らすより先に方法を見つけるところから。且つ、全ての動作が遅いので、ひとつひとつ向き合っている間に、私は消失するんじゃないかと思う。ぃゃ真面目な話。

真夜中に、ここを書いている。そりゃあ朝起きれるわけありませんな。食生活や習慣などは、まず意識を集中させるところから。―何十年かかるのだろう。癖や考え事は変化可能だが、“自分がいなくなる”気もするな。そうこうしてるうちに、とくに知らせる必要のないマイライフは終わる。どんなに努力家でも、どんなに怠慢でも、特効薬は、ない。

時々ね、猛烈にどうでもよくなるときがある。大事なものを残しておきたいけれど、大事なものなんてないんじゃないかって。服も本も音楽も、気に入っているけれど大事じゃないのかもって。“まともな人間”で居られる条件も、“自分らしさ”も、今までの人間関係も、全部必要なのかもしれないけど、大事にしていない・できないものなのではないかって。何もかも、諦めたらきっと、楽だしすっきりして気持ちいいような気がする。縛りからの解放を今までもいくつか望んできた。それが叶うと、小さなことでも荷が下りたような気がするのではと考える。けれども衝動的に、投げ捨てたりはしない。何かから離れるときは、小心者なので慎重に。あとは多少の損得勘定。私は理性的なときほど、ずるいのかもしれない。

私はどこか、自分のことを他人事のように感じている。常に冷静に客観視できるということではない。外と内で最低二人、もしくは複数対一人で、自分のことをあーだこーだと批評してみたり、自分の気持ちや状態を「そうなのだねぇ~」と眺めている感じがある。それは確かに私なのだけど、やる気のなさを「どうして私はやる気を出さないんだ!コラ!」ではなく、「このやる気のない自分とやらをどうにかせねばならないので誰かアイデア下さい」みたいな、そこにもここにも主体がない感じで考えている。やめたいことをやめられない自分に呆れている。怠惰や悲観に囚われている自分を「どうにもできまい」と諦めている。どこかで知ったこっちゃないと思っている。そんなわけないのに。でも、実際、自分のこと自分がわかっているつもりで、まるでわかってない、気付いてはいるんだよ。

 

やめたいこと 意志が弱い 動作が遅い どうでもいい 他人事Amazonで検索