てれびさん、あのね
なんだかんだ毎日テレビを点けているが、観たい番組がだいぶ減ったなぁと感じる今日この頃。いや、今じゃないかもしれないけど。昔から、偏った好みではあったかもしれないけれど。なんだろな、テレビはリラックスして観たいものになっているのか、心がざわつくものを避けるようになってきた気がする。ドラマとか映画とかはストーリー上でエキサイトするものもあるし、それは“そういう楽しみ方”として観れるんだけど。
某こどもがおつかいに行く番組や大家族モノは、ほぼ観ない。こどもをかわいい~とは思うんだよ。でもトラブルとか感動とか、ドキドキハラハラにめっちゃ疲れる。単に他人の家族に興味がないのか(?)、それを見世物とすることにモヤるのか、自分でもよくわからない。たんたんとドキュメンタリーだったらまだいいんだよ。ドキュメンタリーは元々好きだし。演出が過剰とか“お涙頂戴”系にされると、がっかりというか...なんだか疲れちゃう。特別じゃないどこにでもいる人間の話って思いと、これを当たり前の家族像とできない人間もいる、とかなんとかいろいろ考えちゃって疲れる。他人の波乱万丈をバラエティとして観られるほどの余裕が、私自身にないのかもね。
あとドッキリ企画と“おバカキャラ”乱立の番組。最中の出演者の緊張に共感するのと、他人の失態を笑い者にしている感とが、交錯して複雑な気持ちになる。その出演者は笑われるのが仕事って価値観もわかるけれども、芸人さんだったら笑わせるのが仕事だと思うし、失敗を笑うってこととイジリとの境界線難しいなと思う。私は豊富な知識とか、面白いアイデアとかを聴いたり見たりするのが好き。だからその人がどんなに“おバカ”な扱いをされているとしても、そうではない側面から眺めていたい。人の「知らない・できない」が悪いのではない。その特質を利用して自ら笑いを取りに行っているのか、一方的に笑われているのか、端から嘲笑することが目的の企画なのか。曖昧でモヤモヤで、ストレートに楽しめない、爆笑できない。何故だか自分が恥ずかしい気持ちになっちゃうんだよね、観てると。急に驚かされるのもさ、結果がわかりきってるのはマシなんだけど、ほぼ同時体験みたいなタイミングだと、もうほんとしんどい。画面の中の人がびっくりして怒ってるのを見ると、私もイラっと来る(笑)。出演者がオドオドしてたり、失敗して焦ってるのを、「もう見てられない」って思ってチャンネル替えちゃう。笑えないのにバラエティを観てるって事実が、私の中でなんかもう噛み合っていないんだよな。
そんなことにはならないと思うけど。“面白い”が全部“馬鹿にする”が主軸になったらヤだな。自虐ネタも、やりすぎると観客が引いちゃうみたいなことあるじゃない?それって他虐でも同じだと思うんだ。ブラックユーモアとか悲喜劇とか、文化化されてもなお個人的好き嫌いはあるもの。だったら私が今感じてるモヤモヤや嫌悪感は、否定されないよね。自分が真顔でいるアノ謎の間は、本人にとっても戸惑いの時間なんだよ。番組は人気があるから放映され続けているのでしょう?その“空気”に馴染めない人間は少なからず疎外感はあるよそりゃ。
「ちょっと小難しくなると、みんな内容を理解できないから、バラエティも単純化されてるんじゃない?」という話をされたことがあるけども、別にバラエティを小難しくしてくれって言ってるんじゃないんだけど?って感じっすよこっちからすれば。「おもしろいね」「こういうの好きだな」って話を誰かとできればよかったよね(現状難しいっぽいね)ってことだよ。合う合わないは当然ある。付き合い方は各々で調節。