こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

ERA-I

偉い人が苦手だ。正確には、偉そうにしてる人が苦手だ。だけど、自分の態度がそうさせている、ということも場合によってはある。何故、マイナスだとわかっていて寄っていってしまうのだろう。私がこういう時思い出すのは、他人は忘れているくらい前の“過去”の話で、それがパターン化しているのは、今現在、明確に“進行”している“関係”が同居する家族くらいしかないからだ。過去を見つめるのが自己肯定感の低さだと言われるけれど、未来には色が無くて、見つめる対象すら見当たらない。

単純に偉いってどういうことだろう。肩書きや立場で相手をそう見なすことはもちろんあるし、偉業を成したことに疑う余地もない人もおられる。尊敬、称える、それが継続される本心であれ、一瞬のポーズであれ、私は「偉いなぁ」と誰かを思う感情を持っているようだ。“どう”偉いのか、を説明しだすとまた話がズレてくると思うので今回は無しにしよう。個人的に「偉いなぁ」と思う人が、偉い人“らしい”態度(顔)をしていることと、“偉そう”にしていることとは、私は別物だと思っている。また、「偉いなぁ」とは感じない人に対して、「どうやら偉い人らしい」と発見することと、(事実如何はさておき)“偉そう”にしてるなぁと感じることも、別物だと思う。そろそろ、“偉い”がゲシュタルト崩壊してきた?ほんと、偉いって何だろうね。

謎は別にここで解決しないのだけれど、とにかく私は本当に偉い人に恐縮してしまう、というより、偉そうな態度の人に対して、不快感とか反発心とか罪悪感とか目も当てられないというような気持ちとか、いろんな感情がごちゃ混ぜになって、最終的に“落とされる”から苦手なのである。肩書きとか役職とか、「本当にすごい」とか人格者だとか、“実際にどう(いう人間)であるか”は重要ではない。表現された“態度”それだけが引っかかるんだと思う。

以前書いたブログでも、共感性羞恥などの話で、「テレビ番組でドッキリに遭った芸能人のテンパる様子を見るのが辛い」的なことを書いてたと思うが、この“偉そうな人”でも似たような状態になることがある。大概が失笑で済ませられたり、背景などを調べて納得したりできるのだが。(リアルで遭遇することもあるが、)画面の向こうの赤の他人であることは確かに認識しているのに、一般的な腹立たしさと、それとはまた別の感情を持つ。結局うまく言語化できなくて申し訳ないんだけど、恥ずかしさのような、モヤモヤする感じというか、苦しいというか、その場でブチっと何かをちょん切りたい気持ちになるのだ。

テレビだと苦手だ~と思っているのに怖いもの見たさで観ちゃうみたいな所もあって自業自得なのだが、現実にも“偉そう”な人に出会って一瞬「なんやこれ」って思っているのに、関係を始めてしまう・続けてしまうってことがあって、毎度毎度「何故に...」となっている。違和感に掛け合わせるための瞬発力は悉く欠落していて、いつだって「振り返れば...」という結果論だけが残る。

 

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