こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

巻き戻しを一時停止

スマホの中身を整理していると、思いがけず所謂“思い出”に遭遇して苦しい。ああ、私はあの時とても苦しかったし、今も引き続き苦しいんだなと思った。対峙している時は。普段は、現実に“今”に「気が逸れている」ということか。なかったことに出来ない以上、折り合いをつけるしかないのだけれど、一生気を逸らし続ける、他のことで気を紛らわせ続けるしかないのだろうか。薄れても、掠れても、全くの上書きにはならない。忘れたフリが上手にならなければ、いつまでも巻き戻しと一時停止を繰り返す。

ひとつの写真に、複数の思い出が紐づいているとき、苦しい記憶のために良き記録まで削除する決断ができない。何だってそう。単純な作りなら、怒りの感情に乗せて勢いで破棄できるのに、全部が全部不要だとは思えないものばかりで。そうして私は囚われ続ける。自分で自分を縛っているって、わかっているのに解放できない。事象そのものが消えれば、関係する人間が消えれば、ではない。私が記憶を失えば、私が消えれば....いつもベクトルは自身に向いている。傷つけるのも守るのも、縛るのも放るのも、全て私だけの一人相撲。

苦しさは、人のせいにできない。全て私が選んだ結果である。だから私以外の人間が、後悔しようが反省しようが、謝ろうが忘れようが、どうでもいい。実際今更だしね。例え私を傷つけた人間が今目の前に現れて、ゴメンネと言っても、何も変わらないと思う。過去の、“あの時の私”が傷ついた事実は消えないの。その事実ありきで、自分の選択の結果を受け入れ納得する―“許す”ことができて初めて、何かが変わるんだと思う。“しでかした”人間を許せないのは、相手のやり様や人間性によらず、「許せない」と思っている私の心 の問題だ。自分さえ「しょうがない」「もういっか」と思えれば、例え相手が同じ所業を繰り返したとしても、事を終結とできる。それがどうも、なかなかすんなりとは、いっていないのだけれども...。大概の場合、こんな風に考えているのは“こちら側”だけで、それ以外の方々はもう忘れているか、気にしていない、もしくは「どうしようもない」と諦めているか だ。もしも(未だに、というか今更だが)、相手が許されたがっているとしても、私の気持ちの切り替えを祈る以外、できることはないように思う。むしろ教えてほしいくらい。どうしたらより早く「しょうがなかった」と思って忘れることができるのか、暇があれば一緒に考えてほしいって伝えたい。まぁそんな機会は来ないのだけれど。

許しを乞いたいわけでも乞うてほしいわけでもないが、事実は絶えずそこにある。汚点、とでもいうべきか。消えないなら抱えていくしかないわけで、それが断然嫌というわけでもないのだけど、でもまぁ苦しいよね。それは本音。一切の解放は消滅だと、それに向かう人はいるけど、まだそこまで世捨て人ではないかな。恨みつらみは人の世の常でも、汚点を込みで自らを愛せるかとなると、まだまだ、素直に「はい。」とは言えない感じ。

いやぁ、見る目がないのかな。不快になるのを買って出てるつもりはないんだけど。愉快な思い出も些細になるくらい、不愉快が追って積まれてる。素敵な人間はたくさんいるけれど、そうじゃない人の所業のインパクトにやられてる。それに出逢った目も、触れた体も、定期的に引き出される記憶も、全てが鬱陶しい。脳内の高速巻き戻しを強制的に止める物理的な術は、今のところ“唄う”だな。選曲を、ミスらないように。

 

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