こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

弾切れ中に反省会

衝動的なマシンガントークを経て、いよいよ書くことが無いねぇと呟く夕方。前回があまりにも悪口みたいになっちゃったからさ、もうこれっきりにしようかな。(自覚あるんかい!というツッコミはごめん、秘めといて。)別にネガティブキャンペーンをしたいんじゃないのだ。信条や持論を世間にオープンすることはいかようかということをいつもより考えてしまったのだよ。ただの1対1の対話なら、当事者だけの展望、当事者同士の契約で、納得のち終了できる。不特定多数に公開する意義、個人的事情のコンテンツ化について、書き手はどう扱うか練っておくべきだし、やり方を失敗したときはどうリカバリーするかってことも勉強しなきゃと思った。読む側も、どこかの物語として割り切ればいいのか、現代社会に生きるものの課題として捉えるのか、心算は難しい。けれど何かは選ばなきゃね。

元から私は、誰のことも嫌いじゃないの。(苦手な人はいるけど。)だから、嫌いで相手の揚げ足取ってるわけじゃない。「二度と表に出るな」とか「人間として最低」とかいう過激派の人たちの、気持ちはわからんでもないけど、見習おうとは全く思わない。人間、残念な結果になることはいくらでもあるし、間違いも犯すし、温度差があるのも当然。真の万人受けなんてありえないし、良いところと悪いところ共存してるのが普通でしょ。トラブって終わりじゃなくて、(生きている限りは)関わっている人誰しもの人生の続きがあるのだから、“続けられるように”やってくしかないんじゃないの。と思う。

私はね、有名人、知識人、認知度上位、好感度上位、みんな自分より優秀な人だと思ってるの。頭がいいってことだけじゃなくて、魅力的とか。才能とか努力家であるとかの性質もね。強運とか巡り合わせとかもそう。その立ち位置に見合った何らかの実力があると思ってる。だから、他人なのに期待値が高いのかもしれない。自分より比べものにならないほど“すごい”のだからきっと....という理想が高いのかもしれない。だから意に反してギョッとする事態になったりすると、一瞬パニックになるし、こうだったらよかったなぁ~と思ったことを言ってしまう。毎回傷つける意図はないって前置きしてるけど、だからって全て良しではないんだよね。わかっているから、もし傷ついた!って方いたらごめんなさい。許しても許さなくてもいいよ。

誰もが、優しい世界を望んでる。でもひとり残らず、とは言い切れないよね。望んでない人だっているかもしれない。その人たちも含めて“世界”だから、ねじれや対立や反感や違和感は避けられないのだろう。今日信じてたものが明日覆されることだってある。好きな人に一貫性がなくたって、それを頭ごなしに責めることは私にはできないな。

 

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