こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

生成過程

こんなにも情が薄いって話をいろいろしているのに、私には当たり前のように家族がいて、恋人がいて、友人がいて、感情の持っていき所のバランスが悪いなぁと思う。贅沢な悩み事とか恵まれているのにもったいないとか、言われたりするんだろう。自分でも不思議だよ。私の過去には人格形成に問題のありそうな出来事なんて見当たらないのに、現在こんなにひねくれちゃっているんだから。

平和で幸せな幼少期は全体的にぼんやりとして、はっきりとした記憶は数個、それも後からかなり誇張されてそうで、ほとんど覚えていない。真面目な少女は思春期からガッツリこじらせ始め、そこからビューンと現在に至る。こじらせ真っ只中にはわりとドラマティックなこともあっただろうに、年々忘れるスピードが早くなって今じゃそんな頃本当にあったかな?って感じ。そこに私をひねくれさす原因が!?と考えたりもしたけど、たぶん違う。そこそこ普通に無邪気もあったし反抗期もあった。特別なことも事件もない。大人になって楽しかった数年も、「楽しかった」という感情は覚えているけど内容は思い出せなくなってきている。私は大きな“問題”なく生きてきているのに、どうして今は“問題の渦中”みたいな雰囲気を感じているのだろう。

私の自己肯定感の低さや諦めの気持ちは、どう作られてきたのだろう。いつから「まあ最終的には全部どうでもいいんだけど」と口にするようになったのだろう。

「今日友達と遊ぶの!」とワクワクしていた自分が思い出されて懐かしい。でもいざ友達と会うと「もう帰りたい、でも帰りたくない気持ちもちょっとはある」とモヤモヤしていたことがある。その気持ちは、うまく言語化できぬまま、今も持ち続けている気がする。私の“矛盾”は昨日今日生まれたものじゃない、昔から内にあったものだった。

“家と学校が世界の(ほぼ)全て”だった時に、学校を少し拒否ったから、世界が変わったかと言ったらそうでもない。でももう「どうでも~」とか言い出していた気がするな。表向きとても真面目な生徒だったのに。(笑)思い詰めてたかっていうと全然そんなこともないし。心配されるほど衝動的ではなかったためみんなにある程度安心感を与えられていたんじゃないかな。中学の時「おばさんになるまで生きる気ないし」と言い、本気と冗談の半々だと、勝手に認定されてたけどね。

過去の恋愛でモメたから、トラウマ的に人間関係下手なのか、元々コミュニケーションのやり方が変だから、恋愛でモメるのか、さて、どっちでしょうねぇ。友達でさえも、正直距離感とかわからんままだし、自分がただ好いている人を友達って呼んでいいのかすら謎。契約交わすわけでもないしさ。家族だって、安泰で波乱のない穏やかな関係だけど、会話とか考えの摺り合せの時に「なんや、うまくいかへんなぁ~」と思うことは時々あった。相手が物わかり悪いとかではなく、私の伝え方が下手なんかなぁと思ったり。家族間で話通じてないかも...と思っちゃうのは、恋人や友達と比べてより残酷だよ。それでも毎回、いかなる相手でも、「まぁ~しょーがないかぁ」に行き着くんだけどね最後には。必要な紆余曲折だとしても、人間同士で関わるの本当に面倒くさ~いなんて言って。諦めは、良くも悪くも強制終了を促すから、私の息継ぎ だと思う。

 

 

人格形成 ドラマティック 物わかり 紆余曲折 をAmazonで検索