こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

ハクジョウモノ

私が自分のことを薄情者だと思う理由の一つに、我が家は毒親・毒家族ではないことが挙げられる。我が家は、限りなく普通で平凡で、人間としての人並みの失敗などはありつつも情を失われる程の落ち度はない。非道な現実もなく、裕福でもないが貧乏でもない、真面目に、そして大概甘く、ほどよく自由な家庭。そのような存在に対して、私はというとどういうわけか、情が薄い。こんなに普通に温かな家族の元に育っているのに、私個人がちっともハートウォーミングじゃない。親孝行や恩返しを考えるには遅い年齢になってもなお、正直言って思いつかないし、心から思えない。家族の誰かが病気になったり亡くなったりすれば、それは悲しいし、泣く。それでも私の中のどこかで、酷く冷静に、揺さぶられることなく、淡々とその状況を見つめている私がいる。

感謝はしている。ここに生があるのも親がいてこそだし、ここまで続いているのも家族のおかげ、今現在も脛を齧り続けていて、反論も侮辱もない。ここまでありがとう、ここからはもういいよと、苦労をとっぱらってあげたらいいんだろうけど、未だそうならないのは、無論、私のやる気の問題だ。感謝の言葉を口にしても、やる気は起きない。結局、そこ。

私が反抗期真っ只中のとき、よく叫んでいたのは「お母さんの思い通りになりたくない!」だった。母からの全てのアドバイスが、私にとって“従え”に変換されていた。学校に行きなさい、得意なことはやり続けなさい、それらは実際“私のため”の言葉で間違いないのだが、「お母さんは自分の理想を押し付けてくる。“ちゃんと通学する私”や“真面目にがんばる私”を自分が見たいだけや。そういう“ちゃんとした娘”を見て安心したいだけや。アドバイスって、レール引いて、お母さん自身のためやないか!」そういって攻撃性高く打ち返していた。母の心配や叱咤激励は今思えば毎日さほど代わり映えのない小さな火だったが、対した私は四六時中、大量の爆竹だった。着火すればあっという間、だ。

もう反抗期は抜けた気でいる(母も、長い嵐だったがやっと落ち着いたと言ってくれた)が、考えてみると、あの頃と変わらない感情が今も続いていて、それが薄情さに繋がるのではと思えてきた。「あなたのため/自分のため」と正しさを譲らず言い合っていた私たちだが、母の変化球が飛んだこともある。「仮にお母さん自身のためだとして、そもそもそれがダメなことなの?“理想の娘”―高望みじゃない、ごく普通の、一般的な、を望んではいけないの?将来幸せになってほしいって願うからこその応援なのに、願うのもダメなの?どうして親を安心させてくれないの?安心させようと思わないの?」当時の私は何も言えなくなった。思ったことは言うべきという信条はあったが、反射的に傷つけることには抵抗があったから。本音は「思わない」だった。子育てに理想を持ったっていい、願うのも勝手だよ、それは母の親としての人生の選択だから。望まれる・求められることと、私から自然に湧き上がる感情は全くの別物、とその時強く思った。申し訳ないけど、一般常識から外れてるかもしれないけど、親の願いを叶えてあげよう、安心させてあげようと思ったことは、あの頃も今も無いんだ。

親や周りの思い通りになりたくなくて、天邪鬼を自称して、裏を裏を掻いてく ようなことはしていない、と思う。「見返りなんて求めてないよ」と言われる前から、私は自分が見返りどころか何も用意できないことはわかっているから。皆幸せであれと思う。勝手に幸せであってくれと。私が助けになるとか、安心させてあげるとか、幸せにしてあげるとか、そうされるに値する家族であっても、例え今まさに求められているとわかっても、心からそう思い至るかはわからない。というかほぼ浮かばないと思う。常識的に、知識として持っているだけ、の感覚。ね、冷たい人間でしょ?そう思わない?

私の場合、身内でコレだから、身内以外にはさらに冷たいんじゃないかと思う。好きだなぁとか大切だなぁとか感謝とか、そういう感情はあるよ。でも私がどうこうしてあげられることは何も無いと思っている。助けたいとか守りたいとか情をかけられて然りの存在に対して、ただの私の力不足。そして無関心。皆私の手なんかなくても、幸せになれるからね。私は自分の扱いに手いっぱいで、人を安心させられる余裕もない、だから薄情にならざるを得ない、ってこれもまた言い訳だね。

 

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