こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

私の体 彼女の痛み

性や身体のことなどはセンシティブに扱わねばと思うのだけど、なかなか上手にまとめたり意見を組み立てられるほど詳しくなかったりするので、所々で感じた雑感をば。個人メモ代わりに移しておきます。

MeTooやKutooにも様々考えさせられるものがあったし、炎上してるのを覗き見たりして、少しずつ私にも“そういう自我”が目覚め始めてるのだな、と思う。こういうムーブメントは流行りではなく、いつかそのムーブが必要とされない世界、当たり前と根付いた価値観になることが目的だと思うから、私はそれこそ傍観者ではなく、齧ったからには当事者意識を持つべきだ。もちろん、男女で上下があるだの、年齢で価値が変わるだのという気はさらさら無いのが前提として。自分の立ち位置、存在自認について考えるとき、生物学上女というのは切り離せないと思っている。専門家でも研究者でもない私は、自己中心的ではあるが、あくまで女の身体を持っている私はこう思ったこう感じたこうだったらいいなという観点でしか思慮を進められない。これは誰の為にもならない注釈である。

直近では生理関連の問題や現状に触れて、今のところの“私事”に繋がるから興味深く見ている。そもそも生理がどんなものであるか、こちらが思いつきもしないような誤解が現在でも多数存在するということ(男性のみならず女性でも)、国や土地によっても価値観や概念が違うことなど、情報をスクロールで眺めているだけでも様々な衝撃があった。人一人の人生時間内で比較しても、最近は昔よりは状況が改善されてきているのだなということはわかる。しかし当然だが全ての人がそれに当てはまるわけではない。昔より幾分マシだと感じる私、今も昔も“悪しきもの”という意識がある人、一生関わることのない事象だと思っている人、いろんな人がいるものだ。

この間眺めていたのは、生理痛について。私にとってNowPlaying並の悩み事であるので、興味深く情報を漁っていた。生理になってよかったことなど実際ゼロだ。肉体的には必要なものだろうし細胞は生まれ変わったわーいって喜んでいるのかもしれないが、心理的にはダメージしか記憶にない。「大人になるための大切なプロセス、自分のこと、生理も含めて愛してあげて」というような文言は、保健の授業や雑誌で読んだコラムなどで何度も目にしたが、「こんな苦しい思いをさせる悪魔みたいな存在を如何に愛せると思うてか...」と半ギレで流していた。(元々の自己否定も相まって、かも。)

生理痛は重い方だ、たぶん。学校に行きづらくなった理由のひとつである。うちの母は「あんたの人生は生理痛でだいぶ狂った」と未だに言うぐらい。(不登校の原因はそれだけではないと自分では思っているのだが...。)母は自身があまり苦しんだ経験がないと言い、娘の人生が生理如何で左右されているように見えたのだろう。まぁ実際、生理期間中のほか、前後もいろいろと症状があったので、総じて“影響力は絶大だった”とは言えると思う。大人になるにつれ、自分と同じように悩む人が沢山いることがわかってほっとしたし、だからといって仲間内だけで理解しあばいいやとならないように気をつけた。世の中にはいろんな人がいて、社会で生きる以上、解る人だけじゃなく解らない人とも繋がりを絶っちゃいけないと思っている。それが苦しくなることも、大いにあるけどね。

そのものの仕組みを理解していないのは教育の問題だし、痛み苦しみがわからないというのも、普通に考えたら当たり前だよね。全く同じ身体、全く同じ感覚の人間なんかいないのだから、生理現象に対する受け取り方が違うのは当然だし、人の辛さがわからなくて当然。だからこそ寄り添うってことだよね。ここぞという想像力を働かせるところ。それなのにやれどっちのほうがしんどい とか、やれ男女不平等だとか、荒れてるところに出くわすと、ほんとレベル低くて呆れちゃう。言い争うための“差”を見つけて、対立させて遊んでるのかなと思うほど。

「女のここがツライ」って言うと、「男もツライよ!」「男の方がツライよ!」って意見が上がることがあるらしい。「いやいや女はツラくないでしょ」って決めつけられるよりはマシか...と思っちゃう女性がいることも地味にキツい。逆もあり得るんだろうな。(身体的なことだけじゃなくて、生活...育児とかのことでさ/私が未体験な事象) “たまたま”男女比較になってるけど、え何、それってさ、目の前で転んで怪我した人に「私なんかさっき料理中に指切っちゃって~」とか言っちゃうってこと?そんな感じ?その状況なら、何だか恐怖すら感じるんですけど。

 心地よく過ごす、快適に生きるというのは、どの生に対しても言えることで、性がどうこう年齢がどうこうって問題ではないよね。私が女が故の問題を抱えているからって、男も同等の問題を抱え込め!って言いたいわけじゃない。私の苦しみを、私以外も味わえって思ってるわけじゃない。逆に相手の問題を軽んじて私よりマシじゃない?なんて無責任なことも言いたくない。不幸自慢のように「私も/私の方が」と手を上げて、みんなで各々の苦しみを味わう必要はないんじゃない?苦しみは、“平等にある”より“少しでも無い”方がいいと思ってる。誰かに少しでも生きやすくなる方法があるなら「叶うといいね」と思うし、応援したり寄り添ったりもするかも。そして自分の問題も「解決できるといいな」と思う。それらは同時に考えうる。どっちが上だとか下だとか言ってないで、抱えてる問題も解決する方法もみーんなみんなバラバラだけど、私もあなたもいつかは快適になりたいね、なろうねじゃ、ダメなのかしら。

 

 

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