こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

別人

リアルとネットをすぐ切り離したくなるというか、住み分けしたくなるのは古い考え方なのかな。ネットももちろん現実には違いないし、境界が曖昧になってきて自由自在に行ったり来たり、もしくはほぼリアルみたいなとこあるよね。私は本名でSNSとか絶対にやらない人だけども、それは防犯意識とかじゃなくて、単にネット上の“自分”というものに名付けてるだけなんだよね。「この人は〇〇(本名)って人間やないやろ、△△って感じ(よし、その名前にしちゃろ)」っていう。ここでポチポチとキー叩いてるのはそりゃあ現実の〇〇(本名)さんなんだけど、ここに“参上”してる自分は別人なんだ。そういう感覚。

一つの身体として繋がってはいるんだけど、別々の者であるという感覚は、ネット社会に自発的に関わるようになって一層顕著になったと思う。それ以前は所謂イマジナリーフレンド的なやつで、自分本体から生まれるいくつかの別人。無意識であっても結局は私が名付け親、なのだから、似てるかなーと。

実生活に繋がった活動してるとか、仕事上とかなら、区別することなく、それらまるごと社会 みたいな、オンラインオフライン共に世界全体の一部 みたいな捉え方なんだろうなぁと思う。もちろんどんな社会にもプライバシー問題はあるし、リアルでもネットでも守るべきものがあるのは一緒だよってのはわかってる。もし、〇〇(本名)さんがネット上でやらかすとか、この“自分”が現実生活に食い込んでくるとか、そういうリンクが強まる出来事でもあれば、私も“ひとつ”になったりするのかな...。うーん、それでも、私の“あれは別人だよ~”感覚、なかなか変わらないだろうなーと思う。

以前、余談で「自分の名前が自分のものっぽくない」と書いたが、それも関係してるんだろうなと思った。親がくれた名前、選べない苗字、別に嫌なわけじゃないから変えたいとも思ってないんだけど、“自分”っぽくないから別の名前を付けてやろう(なるべくしっくりくるものを探そう)ってね。別人、と言いながら、名付けをする過程で、できる限り“私っぽい私”“本当の自分”みたいなものに寄せていこうとしているのかも。“らしさ”がそこにあるのかはわからないけれど、名乗って納得?というか“JUST!”みたいな気持ちを感じたいというか。(濁している風なのは、実は未だにその境地には至ったことがないということです。)

現実の身体は日々衰えているのに、ネット上ではヴァンパイアみたいな感覚、これはよくないなぁと感じている。別人感覚の弊害。前回の話にも繋がるけど、私という意識の内側と外側、現実と幻想、リアルとネットでは、時間の流れ方が違う。偶像化されればなおのこと、時を止めたままだったり、生きてないことにもできるの。脳内は5歳ぐらいから進んでないし、ネットでは永遠の17歳だから。(((

リアルの人間関係は、経年に伴い変化していくものだよね。環境が変われば、状況が変われば、人間そのものは変わらなくても、世界が変わる。違ってくるって言ったほうがいいかな。今まで交わっていた枠がずれて、重なる範囲が狭まって、別の枠と新たに交わっていく。変化を楽しむ気持ちも大切だけど、私はまだ“これまで”が失われることに怯える側だな。自分の適応力の低さが、怯えた自分をさらに傷つけている。時間の概念を薄めてくれて、実物じゃない“自分”に居場所をくれて、ネットを非現実として見る意識は、そういう傷つく心を守るために持ち続けてしまっている気がする。住み分けの根底にあるのは恐怖心、なのかもね。

  

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