こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(更新停滞中。)

わからんに沈殿

時々、胸の内に沈殿している攻撃性が、ぬっと姿を見せる。自分が理解できないことは、じっくり考えても嫌で嫌でしょうがなくなる。その事を発言している人を嫌いにはならない。その事情が、思想が、考え方の傾向が、わかるけど解らない、という場合に、それそのものに心底嫌気がさす。最近になってそれが増えてきていると感じるのは、なにやらそれらの情報の毒に、侵されつつあるということだろうか。罪を憎んで人を憎まず、を意識しているわけでもない。

理不尽ではないことに怒っている人に関わると、なんだかモヤモヤするというか、不快に近いこの感じ の名前はなんだろう。理不尽なことに対して憤るのは、納得、仕方がないと思ったりするが、「筋は通っているがなんか腹立つ(全くわからんわけでもない)」とか、個人的な好みや一方通行を相手から感じるとき、なーんかやだなぁと思ってしまうこの感情。これもまたその人自身を責めているのではなく、その状態に、感情に、拒否反応を示してしまう。

全てを理解できると思っていないし、他人や環境をコントロールしようなんて、そんな無茶な思いつきもしていない。誰かの攻撃性を受けての対抗心でもないのに、なぜかその不愉快さがストレスになり、攻撃性を焚きつける。

感情がぐらつくだけで、実際に攻撃にうつるかというと、そうではない。闘いたいわけじゃないから。ただこの“名前をつけられない不快な感情”が、普段ぶよぶよと沈んでいるだけの攻撃性や闘争心に引きずり出そうとしてくる。それは自分自身が疲れるし、“要らんこと”なんだよね。

期待しているつもりはないのに、わかりやすさに安心してる。複雑や不快を、自ら探しに行っては顔をしかめて、なんて自分勝手な...と思うけど。理解できない、もっと言えば、間違っている!と言いたくなるような事象でも、いや人間は皆違うのだから、考え方はそれぞれなのだから、と、いつのまにかジャッジする側のように振る舞っている自分に苦笑する。

 一度感じたモヤモヤが全てすっきりするということは、まぁ滅多にない。わからないと呟いてわかるようになったことはない。だからこそ考え続けているのだけれど、ずっと燃やしっぱなしは本当に疲れちゃう。例えばとある人が苦手で、縁切ってそれで楽になるならいいけど、人自体は嫌いじゃないのにその状態や思想に違和感の場合、何を切り離せば少しは楽になれるのだろう?勝手に感じている苦しみは、“与えられたもの”じゃないからどこかに返しようもない。

これらのモヤモヤに限らずだけど、一度踏み込んだ思考の渦は、切り替えという高等スキルを身に付けない限り、なかなか抜け出せない。理解できないことを考えて考えて考え抜いても、沼の同じところ足踏みしていて、突き抜けることはないから。わからないことをわからないまま置いておくスルースキルも必要だって、いつかも言われてたな自分。

 

 

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