こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

wanna

私がここに書いているのは、一体何なのだろうか。日記でも、有益情報でも、手紙でも、詩でも、取説でもない。思いの丈、普段考えていること、頭の中、それらをだらだらとまとまりなく書いて、書いて、それはそれでOKだと思っているけれど。時々、何やってんだろ...って我に返るよね。何の意味があるんだろ...って理由付けを意識してしまうよね。一般的に、「チラシの裏にでも書いとけ」って内容かもしれない。でも、実際チラシの裏に書いてそれを束ねて置いとく気にはなれない。嵩張るから。ということは、残しておくことも目的のひとつなんだろうなと思う。

素敵だな~、憧れるな~、と思える文章やブログに出逢ったから、自分もやってみようと真似っこで始めたはず。あらゆることがそんなものかもね。でも、同じようにはできないし、出来上がったものは似てさえない。独創性ではなく、実力不足だと、何度もどこでも、思い知らされる。じゃあもう、思いのままで行こう。もちろん基礎は身につけたいけれど、怠惰な私は磨く努力さえサボるもんだから、結果、脳内垂れ流し戦法で行くことにした。それが今。(自分なりには多少まとめているのだけど。読みやすさは皆無かと思われ。)

だけど、いつかは話が尽きる。実のところ、頭の中でぐるぐる巡っているモノは、変化が乏しい。口から溢れる話と同じように、少数の同じことを何周も繰り返している(と思う)。早々に“ネタ切れ”が来る。というか来ている。もう既に、似たような話をループしている気がするし、これ自体も何回言ったかわからないぐらい。それでも、始めたてと同様に、これしかできそうもないからこれでやっていく。結局“自由で仕方がない”のだ。借り物でも私のHOMEなのだから。

やりたいようにおやり、と言われるたび、その通りなのだけど何か引っかかる。じゃあどう言われたいかというと特に思いつかなかったり。好きなことを...と言われて、悩むのも同じだ。もし衝動的ならば、好きなことは見つかった時点でとっくに始めてる。好きだけど...と尻込みするほどの不自由なんてそもそもないのだ、ありがたいことに。だとしたら、好きもやりたいも、とても曖昧で不安定で、掴みどころがないから掲げられないのだと思う。

 やりたいことをやる自由より、やりたくないことをやらない自由を、より行使している気がする。そんな中で、微かなやる気を拾い集めて、「やってみよっかな」ぐらいの気持ちで実践しているのだ。情熱や熱望は、いつもここと対角にある。日々の小さなこだわりと違って、人生においての「どうしても」は案外少ない。

例え意欲を持ったとしても、腰を上げるのにものすごく時間がかかるのが私だ。もしかして“チャンス”と呼ばれるものがあったとしても、それを逃すだけでなく、逃したことにも気がついていないのかもしれない。自分との約束は破ってばかりで信頼がない。だからこそ、意味がないと思っても続けることは、積み重ねに価値を見出す実験かもしれないね。目標もゴールもないけど、本日も出力作業だ。

 

 

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